フランスにおける政教分離原則は「ライシテ(laicite)」といい、その起源は1789年に勃発するフランス革命に遡ります。
フランス革命において、反革命の立場をとり、共和制への忠誠を拒否したため、多くのカトリック聖職者が処刑されました。
フランス革命といえば反王政、反封建制の市民革命として語られることが多いですが、神がかり的な世界観を否定する「啓蒙思想」の影響を強く受けているので、反カトリックの改革としての性格もかなり強いのです。
公教育の非宗教化を推し進め、宗教分離の実現に大きく貢献したジュール・フェリー(1832〜1893年)が、司祭に噛みつく風刺画
その後ナポレオンが革命に終止符を打ち、1801年にローマ教皇とコンコルダ(政教条約)を結び、カトリックへの迫害は辞めさせますが、19世紀を通して国家の宗教からの中立を求める声は大きくなり、その結果として成立したのが1905年の政教分離法なのです。
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