バドリオの基本情報
本名:ピエトロ・バドリオ
誕生:1871年ピエモンテ州にて
死没:1956年ピエモンテ州にて
任期:1943年7月25日 〜 1944年6月18日
政策:ムッソリーニ政権の打倒/連合国との休戦協定・無条件降伏
バドリオ(1871年 - 1956年)は、第二次世界大戦末期、ムッソリーニ失脚にともないバドリオ政権を成立させ、ローマ解放までの混乱期にイタリアの指導にあたった人物です。ピエモンテ地方出身。
彼の本職は軍人で、第一次世界大戦末期に軍再建で名声を高め、20年代から30年代にかけて軍部の要職を歴任しています。軍人時代よりムッソリーニ政権は良く思っておらず、ローマ進軍・エチオピア侵略・スペイン内戦などあらゆる政策に批判的で、第二次世界大戦の参戦にも反対していました。参戦後は陸軍参謀総長として役目を果たしましたが、ムッソリーニとの対立から40年に辞任しています。そして43年には国王と共謀しクーデターを起こし、ムッソリーニ政権を打倒。臨時政府を樹立し、連合国との休戦協定を結んだのち、無条件降伏へと至ったのです。44年ローマ解放とともに総辞職し、政界も引退しました。
第一次世界大戦での戦功をきっかけに、要職を歴任したバドリオ。ファシスト政権下において、特に非難の対象になる侵略政策(エチオピア侵略)、第二次世界大戦参戦などには批判的であったとされ、さらに反ムッソリーニ・クーデターでファシスト政権を倒し、休戦協定の締結、無条件降伏し、ローマ解放まで首相としてイタリアの指導をしたということで評価する声は少なくありません。
その一方で、ローマ進軍に反対し左遷されていたものの、その後ファシスト政権におもねり昇進していたり、第二次世界大戦参戦に反対していたものの、いざ参戦するとなるとドイツを称揚するような発言をしていたという証言もあるなど、態度が首尾一貫していないという批判もあります。さらに彼はエチオピア侵略に反対していたものの、結局は総司令官として征服作戦に参加し、毒ガス攻撃や無差別爆撃を行ったため「戦争犯罪人」と断罪する評価も少なくありません。
バドリオによる無条件降伏後の枢軸国からの評価は「連合国に寝返った裏切り者」でした。枢軸国内では「裏切り者」の代名詞として「バドリオ」という言葉が使われたくらいでした。
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