エリザヴェータとは何をした人?〜ピョートル大帝の娘〜

 

エリザヴェータの基本情報

 

本名:エリザヴェータ・ペトロヴナ
誕生:1709年モスクワにて
死没:1762年サンクトペテルブルクにて
王朝:ロマノフ朝
在位:1741年 - 1762年
政策:官僚制の整備/産業の振興/侵略政策

 

エリザヴェータ(1709年 - 1762年)はロマノフ朝第6代ロシア皇帝です。ピョートル1世(ピョートル大帝)の三女として生まれ、クーデターによりイヴァン6世から帝位を奪うことで即位しました。彼女は政治に無関心だったので国政の指揮はほぼ寵臣が行い、内政面では官僚制の整備や産業の振興を推し進め、外政面では侵略戦争を頻繁に行い、スウェーデンとの戦争でフィンランドの一部を獲得しています。

 

このページの内容

 

エリザヴェータの政策

内政

エリザベータは政治に無関心な人物であったため、実際の政治は宰相にほぼ任せきりでした。しかし優秀な宰相に任せたのが功を奏したのか、大胆な財政対策により、当時危機にあった国家財政を立て直すことができた上、国内産業の振興や銀行設立などで、ロシア経済は大きく上向くこととなったのです。

 

外交

エリザベータの在位中は、対スウェーデン、対プロイセンの対外戦争が積極的に展開されました。とりわけ反プロイセン方針に関しては、エリザベータのフリードリヒ2世嫌いの姿勢が強く反映されています。クネルスドルフの戦いでは見事プロイセンに勝利し、フリードリヒ2世にとって最大の敗北を味わわせてました。