ピョートル1世は17~18世紀に在位したロシア皇帝であり改革者であった。西欧化政策を推し進め、軍制・行政・産業の近代化を実現したことで知られる。本ページでは、このあたりのバックグラウンドと後世への影響について詳しく掘り下げていく。

エリザヴェータとは
エリザヴェータは18世紀中期に在位したロシア女帝であり宮廷文化の庇護者であった。ピョートル大帝の娘として国内の安定と繁栄をもたらしたことで知られる。本ページでは、このあたりのバックグラウンドと後世への影響について詳しく掘り下げていく。
エリザヴェータの基本情報
本名:エリザヴェータ・ペトロヴナ
誕生:1709年モスクワにて
死没:1762年サンクトペテルブルクにて
王朝:ロマノフ朝
在位:1741年 - 1762年
政策:官僚制の整備/産業の振興/侵略政策
エリザヴェータ(1709年 - 1762年)はロマノフ朝第6代ロシア皇帝です。ピョートル1世(ピョートル大帝)の三女として生まれ、クーデターによりイヴァン6世から帝位を奪うことで即位しました。彼女は政治に無関心だったので国政の指揮はほぼ寵臣が行い、内政面では官僚制の整備や産業の振興を推し進め、外政面では侵略戦争を頻繁に行い、スウェーデンとの戦争でフィンランドの一部を獲得しています。
エリザベータは政治に無関心な人物であったため、実際の政治は宰相にほぼ任せきりでした。しかし優秀な宰相に任せたのが功を奏したのか、大胆な財政対策により、当時危機にあった国家財政を立て直すことができた上、国内産業の振興や銀行設立などで、ロシア経済は大きく上向くこととなったのです。
エリザベータの在位中は、対スウェーデン、対プロイセンの対外戦争が積極的に展開されました。とりわけ反プロイセン方針に関しては、エリザベータのフリードリヒ2世嫌いの姿勢が強く反映されています。クネルスドルフの戦いでは見事プロイセンに勝利し、フリードリヒ2世にとって最大の敗北を味わわせてました。
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