古代ローマで起こった噴火事件とは?

 

紀元79年、古代ローマの都市ポンペイヘルクラネウムは、近郊のヴェスヴィオ山の大噴火に巻き込まれ、壊滅しました。避難に遅れた人々が建物の倒壊や津波、降り注ぐ岩石や火山性ガスの吸引などで死亡。都市は火山灰や溶岩で埋め尽くされ、およそ1万人が暮らす大都市が一夜にして消失しました。ポンペイは紀元62年にも大地震に見舞われて大きな被害にあっていますが、その後復興を遂げたとはいえ、この時の地震はやがて起こる大惨劇の前兆であったともいわれています。

 

ポンペイとは

ポンペイは今では内陸に位置するイタリアの都市ですが、古代ローマ時代にはナポリ湾海岸線に位置する港湾都市でした。古代ポンペイは肥沃な土壌を持ち、紀元前89年にローマの支配下に入って以降は、海上・陸上交通の要衝として、地中海世界指折りの交易拠点として栄えるようになりました。

 

噴火の影響

噴火に飲み込まれ「幻の都市」となってしまったポンペイですが、1748年になって再発見され、古代ローマ帝国の遺構が当時のまま発掘されました。そのため現在のポンペイは考古学的史料の宝庫となっています。また時間が経ち硬くなった地層には、火山灰に埋もれた遺体の形の空洞ができており、この空洞に石膏を流し込むことで作る石膏像は、当時の状況を物語る考古学的な証拠として大切に保管されています。