ビスマルク体制がヨーロッパに与えた影響とは?

ビスマルク体制の構築がヨーロッパ史に与えた影響を教えてください。

ビスマルク体制が構築された結果、フランスは他のヨーロッパ諸国と同盟を組むことができなくなり、文字通り孤立しました。

 

ロシアと手を組んだドイツは、ロシアの南下政策(つまりはオスマン帝国への進出)に寛容な態度を示すようになりますが、その一方で、ロシアが増長してオスマン帝国を滅ぼし、地中海に進出するなどということにならないよう、イタリアイギリスオーストリア地中海協商を結ばせ、ロシアを牽制するのです。

 

このよう、ビスマルクによる巧みな外交的な駆け引きで勢力均衡が維持されていたのがビスマルク体制の特徴です。

 

体制の崩壊

しかしドイツが同盟を組んだのは、もともと「仲良し」とはいえない国々。そのためビスマルク引退後は、関係が悪化していき、とりわけ三帝同盟、再保障条約の崩壊でロシアとの関係が解消されたのは体制にとって致命的となりました。

 

ドイツと離れたロシアはフランスと同盟を組み、さらにそこに孤立政策を放棄したイギリスが合流。ドイツ包囲を目的とした三国協商が成立します。

 

ドイツの孤立化

残るドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟に関しても、「未回収のイタリア」という領土問題でオーストリアとイタリアの足並みが揃わなかったため頼りなく、最終的には逆にドイツが孤立する図式が出来上がります。

 

そしてこの「ドイツの孤立化」が、ヨーロッパを未曾有の被害をもたらす、第一次世界大戦の間接的要因になってしまうのです。