チャイコフスキーとは何をした人?〜ロシア屈指の作曲家〜

 

チャイコフスキーの基本情報

 

本名:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
誕生:1840年ロシア帝国ヴォトキンスク
死没:1893年ロシア帝国サンクトペテルブルク
遺作:交響曲第7番

 

チャイコフスキー(1840年 - 1893年)はロシアの作曲家です。ウラル地方ヴォトキンスクの鉱山技師の息子として生まれ、法律学校を出て法務省に勤めていましたが、1860年代より音楽家の道を志すようになりました。西洋ロマン派の技法を学ぶと同時に、ロシア的な要素も織り交ぜ独自の音楽性を確立していくようになり、モスクワで教師として働く傍ら作曲活動を本格化。交響曲・バレエ音楽・協奏曲・オペラ・独奏曲など他分野にわたる作品を創出しました。

 

 

チャイコフスキーの生涯

1840年 誕生

鉱山技師の子として、鉱山町ボトキンスクにて生まれる。※

 

1848年 ペテルブルグに移住

 

1862年 ペテルブルグ音楽院開設

ペテルブルグ音楽院が開設されると共に、その一回生となる。

 

1866年 モスクワ音楽院の講師に

同年から78年にかけて、モスクワ音楽院にて講師を務めるようになる。

 

1878年 教職を辞職

音楽院の講師を辞職し、作曲活動に専念するようになる。ヨーロッパ各国を上演して回り、名声を高めていった。

 

1893年 死去

『交響曲第6番・悲愴』初演の1週間後に急死した。死因についてはコレラによるもの、自殺によるものと諸説ありはっきりとはわかっていない。