フェリペ2世(1527年 - 1598年)はスペイン国王で、世界中に植民地を広げ「日の沈まない帝国」が現出したスペイン黄金時代の統治者として知られています。彼の支配領域は1581年に(母がポルトガル王家出身なため)ポルトガル王位を継承し、ポルトガルの支配領域がスペイン領に組み込まれた時点で最大に達しました。レパントの海戦(1571年)でトルコを打ち破り名声を高め、反宗教改革運動を展開し、絶対王政を維持した功績が認められています。一方で未曾有に拡大した版図はスペイン財政に大きな負担をかけ、重要な経済基盤オランダの喪失、無敵艦隊の壊滅(1588年)なども追い打ちとなり、彼の治世でスペインは没落の道を歩み始めたことも確かです。
フェリペ2世の(スペイン視点の)功績といえば、広大な植民地からの富で繁栄の絶頂を迎え、「太陽の沈まない帝国」を現出したことがあげられるでしょう。彼はポルトガル王家が断絶したのを受け、1580年からポルトガル王も兼ねたため、従来のスペイン領にポルトガル領をも手に入れ、スペインの国土を史上最大に拡大しているのです。そしてフェリペ2世はハプスブルク家の血筋でもあるので、スペイン帝国の繁栄はハプスブルク帝国の繁栄も同時に意味していました。
レパントの海戦でオスマン帝国の艦隊を破り、オスマン帝国のさらなる地中海進出を阻止した功績も忘れてはいけません。これ以来スペインの艦隊は無敵艦隊として恐れられるようになりました。
フェリペ2世は生涯でなんと4度も結婚しています。しかしこれはヘンリー8世のように私情で妻をとっかえとっかえしたというものではなく、結婚した妻が次々と不慮の死を遂げてしまったことに起因しています。
フェリペ2世の最初の妻です。ポルトガル王ジョアン3世とカタリーナの長女。1545年7月、フェリペ2世の最初の子カルロスを出産するも、その4日後に死去しました。
フェリペ2世の2番目の妻です。1554年結婚。カトリックの宗主の後ろ盾を得て、プロテスタントに対する苛烈な弾圧で「ブラッディ・メアリー」と恐れられるも、1558年卵巣腫瘍により死去。
フェリペ2世の3番目の妻です。フランス王の子。フランスースペイン間のカトー・カンブレジ条約にもとづき、1559年フェリペ2世と結婚。1568年死産し、直後に死去。
フェリペ2世の最後の妻です。1570年プラハにて結婚。歴代の妻のように出産で亡くなることはなく、5人の子供を生みました。1580年伝染病にかかり死去。
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