テミストクレス(前528年頃 - 前462年頃)は古代アテナイの政治家で、ペルシア戦争においてペルシアのギリシア侵略を食い止めた功績で知られる人物です。子供の頃より1人で演説の練習をするなど根っからの政治家気質であったようで、前493年にアルコンに、前480年に将軍(ストラテゴス)に選出されています。
そしてペルシアのギリシア進撃を予測し早くから軍港の整備や三段橈船建造に着手、大艦隊を編成し、サラミスの海戦で見事ペルシア艦隊を返り討ちにすることに成功しました。その後も城壁を建設するなどアテナイの防衛力強化に尽力するも、前470年頃、親スパルタ勢力からの批判が強まる中、陶編追放(オストラシズム)により国を追われ、旧敵ペルシアの小アジアにて余生を過ごしました。
テミストクレスはペルシア戦争のサラミスの海戦でギリシア連合軍を勝利に導き、ギリシアの政治的独立を守った功績で有名です。そんな救国の英雄たる彼がなぜ陶片追放により国を追われたのかというと、彼が増長し独裁者になることを市民に警戒されたからです。いくら功績があっても民主政を脅かすとなれば、容赦なく追い出す・・・。民主政は古代ギリシア人にとって、かけがいのない精神的支柱になっていたことがうかがえます。
プルタルコスは『英雄伝』の中で、テミストクレスは独裁者になどなる気はなかったが、優秀過ぎるがゆえに嫉妬や権力一極集中への危機感が強くなり追い出されたとしています。陶片追放というシステムは政敵を排除するためにしばしば利用されていたのです。
ちなみに追放されたテミストクレスはマケドニアを経て仇敵のペルシアへ渡り、宮廷で長官に任命され、不自由ない余生を送ったといわれています。
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