レオ1世(390年 - 461年)はトスカーナ出身のローマ教皇で、グレゴリウス1世に並び「大教皇」と称される人物です。彼の治世は古代から中世への転換期にあたり、就任後は教会の保護者たる西ローマ帝国が、ゲルマン民族の侵入により衰退を極める中、生き残りの為に教皇権の強化につとめました。
フン族の侵略を受けるも、首長アッティラと会見し、武力によらない平和的な解決を実現させたため「大教皇」と称されるようになったのです。また451年にはカルケドン公会議を招集して、単性説を異端とし、三位一体説を正当な教理として確定させたことも歴史的に重要です。
レオ1世が即位した時は、フン族によるイタリア侵攻が相次いでいた時期でした。武力による解決を望まないレオ1世は、フン族の王アッティラと会見し、端的にいえば、
金銀財宝は差し出すから、ローマには手を出さないでほしい。それで引いてもらえないなら徹底的に抗戦する。戦闘になればその間に西ゴート族(フン族が敵対している民族)が攻めてきて、あなたがたを挟み撃ちにできますよ。
と脅しをかけ、攻撃を思いとどまらせたのです。
他にもアッティラの後継者の1人が「聖なる王冠」を受け取ることも約束するなど、説得というよりも懐柔、駆け引き、交渉に近いものを行い、窮地を乗り切りました。
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