ドイツの憲法の特徴

ドイツの国旗

 

ドイツの領土

 

ドイツ連邦共和国の憲法は「ドイツ連邦共和国基本法」といい、戦後、英・米・仏占領かの西ベルリンにて1949年5月に成立しました。ボン基本法とも。その内容は、ナチス政権下で侵略戦争が推進され、少数民族への苛烈極まる人権侵害が行われたことへの反省が大いに反映されているのが特徴です。

 

ドイツを自由主義と資本主義に立脚した「民主的かつ社会的」国家とし、連邦制度・三権分立・大統領制を定めた上で、国民の自由・平等・所有権など基本権を保障しています。ファシズム台頭であっさり崩壊したワイマール憲法の欠陥を修正しているのも特筆すべき点といえます。

 

 

 

ドイツの憲法の名前

ボン基本法

ボン基本法(ドイツ連邦共和国基本法)は現行の憲法です。その特徴は上述の通り。

 

ビスマルク憲法

ビスマルク憲法(ドイツ帝国憲法)は、1871年のドイツ統一およびドイツ帝国成立とともに制定された憲法です。ビスマルク起草の北ドイツ連邦憲法をベースに修正を加えたもので、邦(ライヒ)の権限が縮小した一方で、連邦参議院に強力な権限が与えられているのが特徴。1918年のドイツ革命による帝政崩壊により消滅しました。

 

ワイマール憲法

ワイマール憲法は、1919年、ビスマルク憲法に代わり制定された憲法です。法学者プロイス起草の憲法草案をベースに修正を加えたもので、憲法の可決が行われた国民議会の開催地にちなみこの名で呼ばれています。国民主権や自由・平等主義に立脚した極めて民主的な憲法でしたが、1933年、ナチスの政権掌握とともに消滅させられました。

 

ドイツの憲法の歴史

1948年2月 ロンドン会議

米英仏とベネルクスによりロンドン会議が開かれ、西ドイツでの憲法制定の合意が成される。ここで連邦制や二院制の方針も決定。

 

1948年7月 リッターシュルツ会議

フランクフルト・アム・マインにて、米英仏主導で、ドイツの新憲法に関わる3つの文書「フランクフルト文書」の論議が行われた。具体的な国家像について初めて示したもので、議論は紛糾したが、最終的にドイツはこの文書の受け入れを決定した。また8日から10日にかけて行われたリッターシュルツ会議では「基本法」という名称が定められた。

 

1948年9月 議会評議会の開催

各州代表で構成された議会評議会が開催される。ドイツ側と連合国側との憲法協議、意見のすり合わせが本格化していく。

 

1949年4月 連合国と議会評議の合意

連合国と議会評議会の合意により、ドイツ側の主張が大いに盛り込まれた基本法の制定がほぼ確定となる。

 

1949年5月 ドイツ連邦共和国基本法の制定

議会評議会により基本法が採択され、連合国による承認を経て、バイエルン州を除くすべての州が承認を行った。