古代ギリシアの歴史を振り返ると、カイロネイアの戦いはその中で特筆すべき一戦です。この戦いによりマケドニアのフィリッポス二世の覇権が確定し、ギリシアがマケドニアに統一される重要な一歩となりました。しかし、この決定的な戦いに、かつての強国スパルタが参加しなかった理由については、多くの疑問が投げかけられています。
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スパルタはその厳格な軍国主義体制を維持するために、他国との文化交流を禁じる鎖国政策をとっていた。
スパルタがカイロネイアの戦いに参加しなかった理由は、その政治的立場に大きく関連しています。スパルタは伝統的に、他のギリシア諸都市と連携するよりも自立と自己保存を重視していました。スパルタは自分たちの生活様式を維持し、外部の影響を避けることに長けていたのです。
さらに、スパルタは紀元前371年のレウクトラの戦いでテーバイに敗北して以来、以前ほどギリシア内での影響力を持たなくなっていました。このため、他のポリス(都市国家)と対等な関係を結ぶ力が弱まっていたことも、戦いに参加しなかった背景にあるのではといわれています。
また、スパルタとマケドニアとの間には、直接的な対立要素がなかったという点も考慮すべきです。他の多くのギリシア諸都市がマケドニアの拡大に警戒感を抱いていたのに対し、スパルタはマケドニアから直接的な脅威を感じていなかったともいわれています。
結論として、スパルタがカイロネイアの戦いに参加しなかった理由は、スパルタの政治的立場とマケドニアとの間接的な関係に起因していると言えます。伝統的に自立を重視し、他の都市国家との同盟形成が難しかったスパルタは、自己保存を最優先として考えていたのでしょう。そして、当時のマケドニアとの間には直接的な対立関係がなかったことも、スパルタが戦闘に参加しなかった一因と考えられます。ちなみに戦後マケドニアとギリシア諸ポリス間で、兵力供出などを義務づけるコリントス同盟(ヘラス同盟)が結ばれましたが、この同盟にもスパルタは不参加です。
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