アレクサンドル3世とは何をした人?〜シベリア鉄道の建設に着手〜

 

アレクサンドル3世の基本情報

 

本名:アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ
誕生:1845年 サンクトペテルブルクにて
死没:1894年 クリミアにて
王朝:ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ朝
在位:1881年 - 1894年
政策:臨時措置令/ロシア・フランス同盟/シベリア鉄道起工

 

アレクサンドル3世(1845年 - 1894年)はロマノフ朝第13代ロシア皇帝で、兄ニコライの死により皇太子となり、父アレクサンドル2世の暗殺をうけて急遽即位しました。その性格は軍人気質で典型的な保守反動。議会政治に反対する専制政治ツァーリズムを志向し、「臨時措置令」により革命運動の弾圧に執心したことで知られます。

 

対外的にはポーランドフィンランドの同化を強行。ドイツイギリスとは敵対する一方、フランスには接近し、ロシア・フランス同盟を成立させています。フランスとの同盟で得た資本金によりシベリア鉄道の建設に着手するなど、ロシアにおける工業化の下地を作ったことは重要です。

 

 

アレクサンドル3世の政策

内政

アレクサンドル3世は専制政治こそ国を強くすると信じていました。そのため支配地域でのロシア語の使用を強制し、ユダヤ人を弾圧するなど、全体主義政策を推し進めていきました。一方でウィッテを蔵相に任命し、国内工業の進展に努めています。

 

対独外交

父アレクサンドル2世の親ドイツ外交を転換し、強気の対独外交を推し進めますが、ビスマルクのが一枚上手であったため、露土戦争後ビスマルクが主導したベルリン会議の結果、獲得した多くの領土を放棄するはめになりました。

 

南下政策

アレクサンドル3世は中央アジアへの南下政策を推し進め、イギリスとのグレート・ゲームを繰り広げました。

 

シベリア鉄道

フランスとの友好関係を背景としたフランス資本を利用し、シベリア全土を貫通するシベリア鉄道の着工を開始。極東進出の足がかりとしました。