リシュリューの基本情報
全名:アルマン・ジャン・デュ・プレシー・ド・リシュリュー
誕生:1585年
死没:1642年
地位:ルイ13世の宰相
政策・実績:ルイ13世の宰相として中央集権化に尽力し絶対王政の基礎を確立/アカデミー・フランセーズの設立/三十年戦争に参加
リシュリュー(1585年 - 1642年)はフランスの政治家および枢機卿で、ルイ13世の宰相として中央集権化を推し進め、フランス絶対王政の基礎を確立したことで知られます。そんなリシュリューは、1614年全国三部会の聖職者代表に選ばれたのを機に政治の世界に踏み込み、1622年に枢機卿となり、1624年から国王の宰相を務めるようになりました。
内政では新教徒(ユグノー)の弾圧と反対貴族の抑止など王権強化を重視。対外的にはフランスのヨーロッパにおける国際的地位を確立するため、その障壁となるハプスブルク家(神聖ローマ帝国)との対決姿勢を鮮明にし、35年三十年戦争に参加、本来相反する新教国を支援しています。一方で芸術家を支援し、アカデミー・フランセーズを設立するなど、政治や経済だけでなく文芸・学術振興にも寄与した功績も認められているのです。
小貴族の三男として、フランス・パリに生まれる。父はアンリ3世に仕える廷臣であった。
リュソン司教に任命され、トリエント公会議で定められた教会改革にもとづく改革を実施した。
全国三部会に聖職者代表として出席。教会の代弁者として優秀な働きをし、そのまま政界入りした。
国王ルイ13世により枢機卿に任命され、同年教皇グレゴリウス15世にも認められた。
首席国務大臣に任命され、事実上の宰相となった。以後「国王の尊厳」と「国家の盛大」を第一目標に掲げ、王権の強化に努めるようになる。
ユグノーの牙城となっていたラ・ロシェルの攻略作戦を指揮し、翌28年に完了させた。リシュリューはユグノー鎮圧こそが王国の最優先課題と考えていた。
誰でも理解可能な言語に純化し、フランス語を統一することを目的に、アカデミー・フランセーズを創設した。
居館のパレ・カルディナル(現パレ・ロワイヤル)で死去。享年57歳。
|
|
|
|