モナコの歴史年表

モナコの国旗

 

モナコの国土

 

モナコ(正式名称:モナコ公国)は、南西ヨーロッパの 地中海沿岸、フランス南東部のアルプ・マリティーム県に囲まれた地域に位置する 立憲君主制国家です。国土面積わずか2平方キロメートルのミニ国家でもあります。モンテ・カルロ、ラ・コンダミーヌ、モナコ市、フォンビエイユの4区で構成され、気候区は 地中海性気候に属しています。最大の都市は「シャルル3世の山」の意 として知られる モンテカルロ。
この国では古くから国営カジノや海水浴場など観光資源を背景にした観光業が基幹産業となっています。一方で観光依存からの脱却のため、郵便切手、機械、ガラス、陶器などの生産を主体にした工業への転換が図られています。
そんな モナコの歴史は、古代フェニキア人に建設された植民都市から始まるといえます。植民都市には神殿モナイコスが築かれ、国名の由来となりました。その後古代ローマの支配下に入り、古代ローマ滅亡後はイスラム勢力、ジェノヴァ神聖ローマ帝国スペインと支配者は次々変わりますが、17世紀のペロンヌ条約でフランスの保護領として落ち着きます。19世紀にはフランスの保護下で独立して現在に至る・・・というのがこの国の歴史のおおまかな流れです。ここではそんなモナコの歴史的歩みをもっと詳しく年表形式で振り返ってみましょう。

 

 

古代モナコ

前6世紀頃 ポカイア人植民地モノイコスの建設

古代において、モナコを含める現在のフランスにあたる地域は、ローマ人より「ガリア」と呼ばれていた。前6世紀頃にはギリシア系のポカイア人により、モナコの起源となる植民市モノイコス(ギリシャ語で「一軒家」の意)が建設されている。

 

前58年 共和政ローマによる支配

カエサルによるガリア征服戦争にともない、ローマの支配下に置かれ、同国のガリア属州ガリア・トランサルピナの一都市となった。

 

476年 西ローマ帝国の滅亡/ゲルマン人による支配

4世紀末よりゲルマニアに原住地を持つゲルマン民族が大移動を始め、ローマ帝国領に退去するようになる。476年にはゲルマン人の傭兵隊長オドアケルにより西ローマ帝国は滅ぼされ、以後モナコはオドアケルによる支配を受けるようになる。

 

 

中世モナコ

7世紀 ランゴバルド人による支配

6世紀、ユスティニアヌス1世率いる東ローマ帝国がこの地を奪還するも、7世紀になるとゲルマン一派のランゴバルド人により支配されるようになる。

 

975年 リグーリア人による支配

ランゴバルド人とフランク人による抗争に巻き込まれる中で、モナコの人口は激減したが、975年頃からリグーリア人による植民が始まった。

 

1191年 ジェノヴァによる支配

神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世により、ジェノヴァにモナコの宗主権が与えられる。

 

1215年 皇帝派(ギベリン)の要塞建設

神聖ローマ帝国において教皇派(ゲルフ)・皇帝派(ギベリン)の派閥抗争が激化する中、ジェノヴァから送り込まれた皇帝派(ギベリン)により要塞が建設された。

 

1297年 モナコ公国の成立

ジェノヴァ出身の貴族グリマルディ家がモナコの統治者に即位し、現代に続くモナコ公国が成立する。

 

1300年代後半 アラゴン連合王国による支配

 

1419年 グリマルディ家アラゴン王国よりモナコを購入

グリマルディ家がアラゴン王国からモナコを購入し、正式な統治者となる。

 

 

近世モナコ

1641年 フランスの保護領に

 

近代モナコ

1793年 フランス革命軍による支配

フランス革命の中、フランス革命軍によりモナコが占拠される。フランスに併合され、国として独立を失った。

 

1804年 フランス第一帝政の成立

ナポレオンがフランス皇帝に即位したことで、ナポレオン第一帝政が創始。モナコはフランス帝国の一部となった。

 

1815年 サルデーニャ王国の保護領に

フランス帝国崩壊後に開催されたウィーン会議の結果、モナコはサルデーニャ王国の保護領に編入されることが決定した。

 

1817年 大公銃騎兵中隊の設立

 

1860年 トリノ条約

サルデーニャ王国がイタリア統一運動を支援する見返りとして、フランスにサヴォワを含むニース周辺地帯を割譲。これによりサルデーニャ王国によるモナコ保護領支配は終焉を迎えた。

 

1861年 フランス・モネガスク条約

フランス・モネガスク条約によりモナコの主権が認められる。

 

1881年 国旗の制定

 

1911年 君主制廃止

 

1910年 モナコ海洋博物館の開館

 

1918年 フランス・モナコ保護友好条約

第一次世界大戦の末期、モナコに対してフランスが制限付きで保護をするというフランス・モナコ保護友好条約が結ばれる。翌年第一次世界大戦の講和条約ヴェルサイユ条約で承認を得た。

 

1929年第一回モナコグランプリ開催

 

1942年 イタリア王国による支配

ナチス・ドイツポーランド侵攻(1939年)により第二次世界大戦が始まると、モナコは中立の立場を表明したが、42年11月枢軸国イタリア王国により占領される。モナコにはイタリア系住民が多く、ムッソリーニ率いるファシスト政権支持者が多かったことも、侵略の口実になった。

 

1943年 ナチスドイツによる支配

イタリアが連合国に降伏したことで、代わってナチス・ドイツにより占領される。

 

1962年 モナコ憲法改定

憲法改正により、死刑廃止、女性参政権、最高裁判所の設置などが定められた。

 

1982年 公妃グレース・ケリーの死

 

現代モナコ

1989年 モナコ式バランスドアクアリウムの開発

1993年 国際連合に加盟

1994年 モナコ日本庭園の建設

2004年 欧州評議会に加盟