ナポレオン三世とは何をした人?〜最後のフランス国王〜

 

ナポレオン三世の基本情報

 

本名:シャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト
渾名:「馬上のサン=シモン」
誕生:1808年フランス・パリ
死没:1873年イングランド・ケント
政策:第二帝政の創始/産業保護・鉄道敷設/メキシコ出兵/普仏戦争

 

ナポレオン3世(1808年 - 1873年)はフランスの皇帝で、第二帝政を創始した人物として知られています。ナポレオン1世の甥として、フランス・パリに生まれ、叔父の失脚後しばらく亡命生活を送りましたが、1848年の二月革命で七月王政が倒されると、帰国が実現し、フランス第二共和政の大統領に就任。そして51年クーデターで独裁権力を確立し、52年皇帝に即位、ナポレオン3世として第二帝政を開始したのです。

 

即位後、都市計画や産業保護、鉄道敷設を始めとするインフラ拡大などフランスの近代化に尽力し、対外的にはアフリカやアジアへの植民地建設を推進。その功績により一時は国民から熱狂的な指示を得ていました。しかしメキシコ出兵の失敗をきっかけに体制が揺らぎ、1870年ビスマルクのプロイセンとの戦争(普仏戦争)に敗れ捕虜となったことで失脚。フランスは第三共和制に移行し、彼の治世を最後にフランスに君主制が復活することはありませんでした。なお彼自身は亡命先のイギリスで死去しました。

 

 

ナポレオン3世の偉業・功績

第二帝政を創始

ナポレオン3世は二月革命により成立した第二共和政の大統領となった後、クーデターで独裁的な権力を握ることでナポレオン1世以来の帝政を創始しました。彼の功績とされる政策の数々は、彼が「皇帝」として求心力と強力な実行力を兼ね備えていた時期に行われたのです。

 

産業革命を推進

ナポレオン3世は皇帝として即位後、積極的な産業保護政策に取り組み、フランスの近代化を促進しました。とりわけ英仏通商条約の締結により自由貿易政策に転換したことで、自由競争により技術革新と資本の蓄積が進み、鉄道の普及・インフラ整備などフランスの産業革命が強力に推進されたのです。

 

パリ万博の開催

上記の産業化によりフランスは劇的な近代化を遂げました。そのアピールの場としてナポレオン3世が国を挙げて取り組んだのが、1855年、67年のパリ万博の開催です。万博が好評を博したことで、彼はさらに権威を高め、重要な改革を推進することができたのです。

 

ナポレオン三世の評価

ナポレオン3世はナポレオン1世と比べたらかなり評価が分かれる人物です。彼の治世で都市整備や鉄道敷設、自由貿易、産業振興などが急速に進み、フランス近代化に大きな進展がみられたのは事実である一方で、ナポレオン1世のような卓越した軍才は持っておらず、それがメキシコ出兵の失敗や普仏戦争での敗北に繋がっています。

 

詩人ヴィクトル・ユゴーは「誇大妄想狂」「無能の独裁者」などと辛辣に批判し、ビスマルクからは「過大評価」「目立ちたがり」「不満の矛先をそらすために戦争に走った」などと評されています。