アルキビアデス(前450年頃 - 前404年)は古代ギリシア・アテナイの政治家・将軍です。前421年に政界に進出し早世しますが、指揮官としてシチリア遠征に出発する直前、ヘルメス像破壊の嫌疑で涜神罪に問われスパルタに亡命。
まもなくスパルタ王と対立し今度はペルシアへ亡命。前411年アテナイ海軍将軍を任され祖国復帰を果たすも、前406年ノティオン海戦における敗戦の責任を問われ再び亡命・・・と、亡命続きの人生となり、最期には亡命先のフリギアで暗殺され生涯を終えています。
ソクラテスに師事していたことでも知られ、彼の評判の悪さによりソクラテスの裁判が不利に動いたともいわれています。
アルキビアデスは名門アルクメオン家の出身で、前421年に政界入りを果たしています。政治家としては反スパルタ政策を推しだし、前415年シチリア遠征の指揮官になりますが出発前夜にヘルメス像破壊事件の容疑で涜神罪で訴追され、敵視していたスパルタに亡命。今度はスパルタに手を貸すようになります。
しかしアギス王との不和が原因でペルシアに逃亡。その後キジコス戦(前410年)でスパルタを破った戦功によりアテナイ帰還を果たすも、前406年、ノティオン海戦での敗北により失脚。そして前404年、フリュギアに亡命した後暗殺されました。アテナイがペロポネソス戦争に敗れたのと同じ年です。
最後までアルキビアデスは風見鶏的人物であったことから、アテナイからもスパルタからもペルシアからも信頼されず、不遇の最後を迎えた人物です。彼の無節操行動の数々は親交のあったソクラテスの裁判に不利に働いたといわれています。
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