エンリケ航海王子とは何をした人?〜セウタ征服で大航海時代への道筋を引く〜


エンリケ航海王子の基本情報

 

生年:1394年
没年:1460年
出身:ポルト
死没地:シエラレオネ
別名:「エンリケ親王」
政策:セウタ征服

 

エンリケ航海王子(1394年 - 1460年)とは15世紀のポルトガル王子で、もともとはポルトガルの海外進出およびそれにともなう「地理上の発見」最大の功労者といわれていた人物です。なぜ過去形なのかというと、今では彼の功労とされるものの多くが否定されるようになり、ポルトガルでもかなり評価が分かれる人物となっているためです。実際彼は相当な船酔いだったらしく、ほとんど航海らしい航海はしていません。ただし「最大の功労者」は言い過ぎにしても、1415年の北アフリカ・セウタ征服を皮切りに、ポルトガルの海外進出政策を主導し、喜望峰発見(1488年)やヨーロッパ〜インド航路発見(1498年)への道筋を敷いたことは確かといえます。なおポルトガルの王位は兄が継いだため、エンリケが王として即位することは生涯ありませんでした。

 

 

エンリケ航海王子の偉業・功績

長らくエンリケ航海王子はヨーロッパの海外進出最大の功労者として伝説化していましたが、近年では彼の果たした役割はそこまで大きくなかったというのが一般的になっています。しかし彼は西アフリカ西岸の探検事業に力を入れる中、1415年にモロッコのセウタを征服しているので、大航海時代への道筋を敷いたことは確かな功績といえるでしょう。

 

と同時に大航海時代開幕の直接のきっかけとなったのは、エンリケの死後に行われた、アフリカ南端・喜望峰の発見およびインド航路の発見にあることにも、留意しておきましょう。

 

エンリケ航海王子の功績が見直されるようになったのは、彼自身はほとんど航海らしい航海をしていなかったという事実にも起因しています。一説によれば、航海・探検への情熱はあったものの、船酔いが酷く、乗りたくても乗れなかったともいわれています。

 

エンリケ航海王子は船酔い王子だった

エンリケ航海王子は「航海王子」などという大層な添名を持っていますが、実は彼自身は航海らしい航海はしていません。船酔いが酷く、長旅の航海には絶えられなかったためといわれています。しかしアフリカ西岸の探検事業や地図の作成、航海学校の設立などに多額の援助を行ったため、その功績を認められて「航海王子」と呼ばれているのです。