ビスマルク体制の目的は、フランスを国際的に孤立させつつドイツの安定と平和を維持することにあった。そのため多国間同盟や中立化政策が積極的に進められた。本ページでは、さらに外交戦略や安全保障政策などについても詳しく解説していく。

ビスマルク体制とフランスの孤立
ビスマルクはフランスが復讐戦争を企てないよう、他国と同盟を結んで外交的に孤立させた。三帝同盟や再保障条約はその戦略の一部であった。本ページでは、さらに同盟網の構成や外交交渉の経過などについても詳しく解説していく。
ドイツ帝国というのは、普仏戦争でプロイセンがフランスを破ることで成立した国であり、フランスは敗戦の代価として工業地帯アルザス、ロレーヌなどをドイツに奪われたことで復讐心に燃えていました。
ドイツはそんなフランスが他の国と同盟を組んで、自国を挟み撃ちすることを恐れていましたが、統一間もないドイツはまだ混乱下にあり、対外戦争を戦っている余裕はありません。
そこで周辺国と同盟(三国同盟、三帝同盟、再保障条約、地中海協定など)を結び、フランスが軍事的にこちらを攻められない、他の強国と手を結べないよう先手を打ったのです。
ベルリン会議(1878)にてロシア駐英大使と握手するビスマルク
とくにフランスとロシアが同盟を組むことを恐れていたので、三帝同盟、再保障条約で、念入りにロシアに中立の立場を約束させていました。
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