ティトゥス・タティウスとは何をした人?~ロムルスとの共同統治~

ティトゥス・タティウスとは

ティトゥス・タティウスはサビニ人の王で、ロムルスと和解して共同統治を行った。民族間の融和を象徴する人物である。本ページでは、このあたりのバックグラウンドと後世への影響について詳しく掘り下げていく。

ティトゥス・タティウスとは何をした人?~ロムルスとの共同統治~

ロムルス率いるローマ軍とタティウス率いるクレス軍の戦いを描いた『ザビニの女たち』/ジャック=ルイ・ダヴィッド画


タティウスの基本情報

 

本名:ティトゥス・タティウス
在位:前8世紀
出身:クレス
民族:ザビニ人
実績:ロムルスとの和約後ローマの共同統治/クゥイリーヌス神をローマにもたらす


ティトゥス・タティウス(前8世紀)は王政ローマ期のローマ王およびクレス王で、建国者ロムルスとともにローマの共同統治を行った人物として有名です。その共同統治はロムルスによるザビニ人女性略奪事件がきっかけです。


ロムルスの暴挙を受け、タティウスはザビニ人の王としてローマに宣戦布告。しかし戦闘中ローマ人に連れ去られた女性たちが、両軍の間に飛び出し、殺し合いを辞めるよう懇願したのを受け休戦することとなり、ロムルスとタティウスによる共同統治という形で和議が結ばれたのです。


ティトゥス・タティウスとサビニ女性の略奪

ロムルスとローマを共同統治することとなる、ティトゥス・タティウスの名前が出てくるのは「ザビニ女性の略奪事件」の後の話です。この事件はローマが国を維持するために、多数の未婚ザビニ人女性を誘拐したという伝説的事件です。タティウスはザビニ人の都市国家クレスの王であり、復讐のためにローマに戦争を仕掛けました。


戦いは伯仲しましたが、最後の局面で戦争の発端となった略奪の被害者である女性達が両軍の間に飛び込み、戦いを辞めるように懇願。これを受けて両軍は休戦することとなり、妥協案としてタティウスとロムルスが共同統治者となり、両民族を統合する条約を締結するのです。


2人の王による共同統治は、共和政期の執政官二人制支配の起源になったともいわれています。なおタティウスは一般的には「ローマ七王」の1人には数えられていません。