古代ローマが衰退した理由とは?

 

古代ローマといえば、イタリア半島中部のテヴェレ川のほとりの小さな都市国家から、強大な軍事力を背景に勢力を広げ、最終的には地中海世界全域を支配する大帝国を築き上げた古代国家として名高いです。しかし3世紀頃から衰退が始まり、4世紀には国土が分裂。5世紀後半にはついに滅亡の憂き目にあっています。

 

衰退の理由

ローマは帝政移行以来「パックス・ロマーナ」と呼ばれる空前の繁栄を享受しましたが、2世紀末には伸び悩み、3世紀後半からは政治混乱からクーデターが頻発し、「軍人皇帝時代」という混乱期を迎えます。一時持ち直したものの、375年頃からフン族の圧力を受け、新たな居住地を求めたゲルマン人がローマ領内に大挙。ローマ社会に混乱をきたし、衰退に拍車をかけました。

 

ローマは滅ぼされたわけではない…?

ただ古代ローマ(西ローマ帝国)は滅ぼされたというよりも自壊したといったほうが正しいかもしれません。ゲルマン民族の大移動を受け、ローマは侵入してくるゲルマン人との戦闘も行いましたが、侵入を完全に食い止めるのは無理とみて、ローマ領内への定住を認める代わりに傭兵として雇ったり、官職に起用したりして、国力の強化を計りました。

 

しかしそうこうしているうちに、ローマの官職は大部分がゲルマン人が占めるようになります。ゲルマン人の影響力がどんどん大きくなるなか、476年には傭兵隊長のオドアケルが西ローマ皇帝の帝位を廃してしまい、地中海世界の西側からローマ帝国は消滅したのです。