ベルファスト合意

ベルファスト合意は、1998年4月10日にイギリス・アイルランド間で、北アイルランド紛争解決のために結ばれた和平合意です。呼称は北アイルランド最大の都市ベルファストで結ばれたことから。長年続いた北アイルランド紛争に終止符を打つとともに、アイルランドの南北分断も決定的になった、アイルランド史においては非常に重要な意味を持つ合意となります。

 

 

 

ベルファスト合意の背景

イギリスとの独立闘争

もともとアイルランドは1801年の合同法以降、イギリスの植民地でしたが、20世紀以降民族運動が過熱し、イギリスからの自治独立を求める声は日に日に高まっていました。そんな中、イースター蜂起(1916年)、アイルランド独立戦争(1919〜21年)という独立闘争の末、英愛条約の締結により南部26県で自治権が認められ、アイルランド自由国が成立したのです。

 

アイルランド内戦

アイルランドは英愛条約で一応の独立は得られたものの、この条約で認められた独立は、あくまで以下のような制限付きでの独立でした。

 

  • あくまでイギリス連邦支配下の自治国であり、元首はイギリス国王である。
  • 軍事権、貿易権など少なくない権利をイギリスに握られている。
  • 北部6県からなる北アイルランドはイギリスの統治下に留まる。

 

といったように、ある程度の自治権を認められはしても、あくまでイギリス帝国傘下の属国として繋ぎとめられていたのです。アイルランドの完全独立を求める人々は闘争の継続を望み、国内は条約賛成派と反対派で真っ二つに分断し、同胞が同胞を殺しあうアイルランド内戦(1922〜23年)に発展してしまったのです。多くの犠牲を生みつつ、最終的に内戦は条約賛成派の勝利と終わり、アイルランドはアイルランド自由国という仮初めの独立国として歩みを進めることになりました。

 

北アイルランド紛争

戦後アイルランド自由国はイギリスからの完全な独立を果たし、ひとまずアイルランド、イギリスの領土問題は沈静化したかのようにみえました。しかし宗教的対立や差別問題等により1960年代後半から対立が再燃し、その後武力行使の伴う「北アイルランド紛争」が30年間続く事態になったのです。

 

ベルファスト合意の締結

血の日曜日事件が象徴するように、紛争による国内の混乱と対立は深刻なものとなっていました。そこでこれ以上の社会的混乱と犠牲を防ぐべく、1998年4月10日、イギリスとアイルランドの間で和平合意となるベルファスト合意が結ばれたのです。ベルファスト合意後、武力行使は鎮静化していきましたが、宗教間による暴力が鎮静化したわけではなく、「平和の壁」という分離壁が街を分断している状況は依然として続いています。

 

ベルファスト合意の内容

  • ベルファスト合意を基に、イギリスとアイルランドでの国民投票を実施
  • アイルランド憲法第19条の改正により、北アイルランド6県の領有権主張を放棄することを決定
  • 北アイルランドは正式にイギリスの一部になる
  • 北アイルランド政府/議会の設置(設置後、機能が何度も停止している)
  • 住民の合意を得ることなく北アイルランドの地位変更を行わない
  • 北アイルランドの住民はイギリス、アイルランド、あるいは両方の国籍を取得できる(帰属選択の自由)
  • アイルランドと北アイルランドの国境を自由に往来できるようになった