クレタ島の歴史

クレタ島の位置

 

クレタ島は、エーゲ海南部に横たわるように位置するギリシャ領の島です。オリーブやブドウを産する地中海式農業や酒製造業がさかんで、かつてエーゲ文明の中心をなしたクレタ文明(ミノア文明)の発祥地としても有名です。そんなクレタ島はどのような歴史を辿ってきたのでしょうか。

 

 

名前の由来

実は「クレタ」というのは、ラテン語に由来する呼び名であり、現代ギリシャでは「クリティ」と呼ばれています。

 

支配の歴史

古代

クレタ島では前3000年頃から前1400年頃まで、クレタ文明(ミノア文明)と呼ばれる文化が繁栄していました。クノッソス宮殿や浴場、水洗式トイレをはじめとする先進的建築物、彩色画、ミノア語を記す線文字の使用など、当時の地中海世界でも屈指の文化水準を誇っていたことがわかっています。

 

エーゲ文明崩壊後

またエーゲ文明崩壊後、暗黒時代を経て成立した都市国家時代には、ギリシャ本土とは異なる独自の文化が営まれていたことがわかっています。

 

前67年ローマに征服され、帝政期にはキレナイカ属州の一部となりました。

 

中世

13世紀になると、十字軍に参加したヴェネツィアに征服され、その支配は17世紀半ばまで続きました。

 

近代

ヴェネツィア支配が終わった後は長らくオスマン帝国による支配が続き、1830年にギリシャが独立した後でもクレタ島はオスマン帝国領のままでした。

 

ギリシャ領に

しかし19世紀以降の民族主義の高まりで、オスマン帝国からの独立運動が盛り上がるようになります。そしてオスマン帝国の衰退とオスマン帝国と対立する西欧列強の介入もあり、1913年になってようやく、ギリシャ領に帰属されることとなったのです。