
ノルウェーの国旗
ノルウェーの国土
ノルウェー(正式名称:ノルウェー王国)は、北ヨーロッパのノルウェー海沿いおよび北海沿い、スカンジナビア半島の西部 に位置する 立憲君主制国家です。国土は 南北に細長く広がったスカンジナビア半島西部、およびバレンツ海上にあるスヴァールバル諸島で構成され、気候区は大部分が亜寒帯湿潤気候に属しています。首都はバルト海と北海の水陸交通を結ぶ港湾都市として知られるオスロ。
この国ではとくに 電力多消費産業が発達しており、中でもシリコン、アルミニウム、化学肥料などの生産がさかんです。また豊富な天然資源 を背景にしたガス・石油産業もこの国の基幹産業となっています。
そんな ノルウェー王国の歴史は、9世紀末にハーラル1世に建設されたスカンジナビア沿岸部の部族統一から始まるといえます。ノルウェー王国は14世紀末にはカルマル同盟のもとデンマークの支配下となります。19世紀に結ばれたキール条約によって今度はスウェーデンの支配下に収まるも、20世紀初頭には同君連合の解消を宣言。スウェーデンから独立を果たし現在に至る・・・というのがこの国の歴史のおおまかな流れです。ここではそんなノルウェー王国の歴史的歩みをもっと詳しく年表形式で振り返ってみましょう。
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北ゲルマン系のノルマン人が、現在のノルウェーの地に定着し始める。
8世紀頃のノルウェーでは、バイキングと呼ばれる海洋民族が活発に活動していました。9世紀末になると、ユングリング家のハーラル1世(別名:美髪王)が、ノルウェーを統一支配し、最初のノルウェー王に即位したといわれています。ノルウェーはその後大西洋へも勢力を広げ、13世紀にはアイスランドまで支配下に治めるほど優勢を振るうようになります。
8世紀に入り、北欧出身の「バイキング」と呼ばれる海賊が幅を利かせるバイキング時代が始まる。ノルマン人バイキングも西ヨーロッパ各地で通商や略奪を行なった。
9世紀末にハーラル1世(在位:958年頃〜985年頃)がノルウェー沿岸部を統一し、ノルウェー初にして、スカンディナヴィア初の統一王国が成立した。
スカンディナヴィアのキリスト教化は8世紀頃デンマークから始まった。10世紀末にはハーコン善王によりノルウェーにもキリスト教がもたらされた。
フランスに侵入したノルマン人により、ノルマンディー公国が建国される。その後ノルマンディー公はイングランドを征服し、ノルマン朝を創始する。
オーラヴ・トリュッグヴァソンがノルウェー王オーラヴ1世として即位。ノルウェーのキリスト教化に尽力。異教の弾圧を行い、キリスト教を王権の土台にした統治を行った。
ノルウェー王オーラヴの軍と、デンマーク、スウェーデンなどの連合軍との間で海戦が行われた。オーラヴはこの戦いの中で死に、ノルウェー軍は全滅した。
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オーラヴ2世(在位1015年〜1028年)の治世においてキリスト教化がほぼ完了した。彼は異教の神殿を取り壊し、代わりに教会を建設した。
王家の権力闘争でノルウェーは衰退していき、デンマークの北海帝国に併合される。
デンマーク艦隊に敗れスウェーデンに逃れていたオーラヴ2世だが、その後ノルウェーに帰還しようとして起こったスティクレスタドの戦いで地元の豪族に敗れ死去。
オーラブ2世の異父弟ハーラル3世がノルウェー王に即位。はじめはマグヌス1世と共同統治だったが、47年にマグヌスが戦死したことで単独のノルウェー王となった。敵に対する容赦のない扱いから「苛政王」の通り名をもつ。
11世紀以来デンマークに臣従していたノルウェーでしたが、12世紀末に再び独立を回復しました。
スベッリ・シグルソンの孫ホーコン4世(在位1217年〜1263年)が即位。旧貴族の撤廃、法慣習の成文化、父の代から続いていた内紛を収め、さらに領土も拡大するなど数々の成果をあげ、その治世でノルウェーは最盛期を迎えた。
アイスランドの指導者スノッリ・ストゥルルソンが暗殺される。この暗殺はアイスランドを支配下に置こうとするホーコン4世の差し金。
ローマ教皇使節団がノルウェーに訪れ、ホーコン4世は王冠を授けられる。
北ドイツ諸都市による同盟ハンザ同盟との通商条約を締結する。この同盟はノルウェーに繁栄をもたらしたが、同時にドイツに経済的主導権を握られることにもなった。
デンマーク国王を中心とした、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーの3国による同君連合カルマル同盟が結成される。ノルウェーは再びデンマークの強力な支配を受けることとなる。
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中世時代に繁栄を築いたノルウェーですが、同じ北欧国家のデンマークの伸張も目を見張るものでした。中世末期になるとノルウェーは徐々にその影響力に押されるようになり、デンマークを盟主としたカルマル同盟へ加盟。ノルウェーはスウェーデンと共にデンマークの従属国としての近世に突入していくことになります。スウェーデンは16世紀にデンマーク支配を離脱することができましたが、国力が不足していたノルウェーは、デンマーク保護領としての立場に甘んじる他ありませんでした。
「ストックホルムの血浴」を受け、スウェーデンがカルマル同盟からから抜け独立したことで、デンマーク=ノルウェー連合王国が成立した。
16世紀になるとドイツで宗教改革が起こる。その影響でデンマークでは1537年に教会がルター派に再組織化され、その支配下にあるノルウェーもルター派の国家となった。同年ノルウェー国教会が成立した。
デンマーク王フレデリク3世は様々な制度改革をおこない、絶対王政を確立した。
農民が保有地から移転することを規制する土地緊縛制が廃止される。
デンマーク=ノルウェーは、スウェーデン、ロシア帝国と手を結び武装中立同盟を締結。
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19世紀になるとキール条約(ナポレオン戦争後結ばれた国際条約)によってデンマーク支配からは解放されたものの、今度はスウェーデンに領土を割譲されてしまいます。しかし20世紀になると独立運動が加熱し、国民投票によりスウェーデンとの関係解消を宣言します。これを承認しないスウェーデンと開戦一歩手前までいきましたが、ヨーロッパ列強からの支持も得たことでノルウェー王国」として正式に独立を達成することができたのです。
その後のノルウェーは、基本的にヨーロッパで起こる戦争に深入りせず、中立の立場をとるようになります。しかし第二次世界大戦では、中立の立場をとっていたにも関わらず、ドイツ軍に占領され、ドイツ降伏を迎えるまで抵抗運動が繰り広げられました。こういった経験を踏まえて、戦後は安全保障のための伝統的な中立政策を放棄し、北大西洋条約機構(NATO)の創立メンバーとして原加盟国になるなど立場を明確にしています。
19世紀末頃からスウェーデン=ノルウェーの同君連合からの独立運動が活発化した。
ナポレオン戦争でデンマークが敗戦国となったことで、キール条約によりノルウェーはスウェーデンに割譲された。
スウェーデンとの同君連合の解消を宣言し、国民投票の結果とスウェーデンとの交渉の結果、無血の独立を果たす。現在に続く立憲君主制国家ノルウェー王国が成立した。
女性に国政選挙権が与えられる。ニュージーランド、オーストラリア、フィンランドに次ぎ世界で四番目。現在ノルウェーは男女平等先進国の一つとされている。
39年に第二次世界大戦が開始され、ノルウェーは中立を表明するもドイツ軍の侵攻を受ける。結果ナチス・ドイツに国土を占領されてしまい、ノルウェー政府と王家はイギリスに亡命した。
ナチス・ドイツの降伏に伴い、ノルウェーは解放。ノルウェー政府と王家は帰還を果たし、独立を回復した。
ヨーロッパ共同体(EEC)に加盟を拒否されたイギリスを中心に結成された欧州自由貿易連合(EFTA)に加盟。加盟国間の自由貿易と経済統合の促進を目的とする。発足は60年。
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