アレクサンドロス3世(前356年〜前323年)とは古代マケドニア王国の王です。少年時代にはアリストテレスに師事し学問を学び、前336年即位の2年後、ペルシア征伐のために小アジアに進出し、前331年ペルシア帝国の王都ペルセポリスを陥落させ目的を達成しました。そして小アジア征服を足がかりにさらに東方へと遠征し、中央アジアからインド北西部にまでいたる広大な領域を支配下におさめ、ギリシャ語を公用語にするなどし、ギリシア世界帝国を体現しています。彼は各地にアレクサンドリアと命名した都市を建設し、東西文化が融合したヘレニズム世界を作り上げた業績でも知られます。しかし彼の死後、王位継承をめぐりディアドコイ戦争が勃発し王国は分裂。マケドニアは衰退の途を歩み始め、前168年共和政ローマに滅ぼされました。
|
|
|
|
アレクサンドロス大王最大の功績は、戦勝によりギリシア全土やオリエント世界、中央アジアのインドにまで至る広大な領域を勢力下におさめ、ヘレニズム世界を創出したことがあげられるでしょう。各地に自分の名にちなむ都市アレクサンドリアを建設し、東西文化交流を活発化させ、マケドニアを豊かな世界文化溢れる帝国に変貌させました。
また彼がギリシア語を公用語にしたことで、東地中海世界におけるギリシア語優位が確定し、後世の文化形成に多大な影響を与えたことも無視できません。ローマ時代以降も旧マケドニア支配地域ではギリシア語が使われ続け、東ローマ帝国時代に入ってからは、再びギリシア語が公用語とされるようになったのです。
アレクサンドロス3世といえば、東方遠征により途方もない広さの帝国を築いたことが有名ですが、彼の本領はむしろその後の統治方法にあります。
彼の統治において特筆すべきは、異文化との交流と融合を図った政策の数々でしょう。例えば、アレクサンドロス3世の東方遠征によりペルシア人はマケドニアの支配下に入りましたが、彼はペルシア人を弾圧・服従させるのではなく、ペルシアの行政制度を導入し、ペルシア人を積極的に登用、さらにはペルシア人と部下の集団結婚を推奨するなど、ペルシア人とマケドニア人の融和を推進したのです。
また征服地に自身の名にちなんだアレクサンドリアと命名した都市を作り、そこを軍事拠点として地方支配の要としたことも重要です。大王は優れた地方行政制度と民族融和政策により、広大な世界帝国を安定的に統治していたのです。
|
|
|
|