ゴート戦争の結果と影響とは?

376年から382年にかけて行われたゴート戦争(またはゴート族との戦争)は、その結果として西ローマ帝国の衰退と崩壊へとつながる重要な出来事でした。

 

この期間の戦争は、ゴート族がローマ帝国の領土に侵入した結果として発生しました。彼らは初めて帝国東部の領土へと移住する許可を得ていましたが、その扱いが不適切だったため反乱を起こし、結果としてローマ帝国との戦争が勃発しました。

 

最も重要な戦闘は、378年のハドリアノポリスの戦いで、この戦闘で帝国東部の皇帝ウァレンスは戦死しました。この敗戦はローマ軍にとって壊滅的で、ローマ帝国が軍事的に不可侵であるという幻想を打ち砕きました。

 

その後、382年にローマ帝国とゴート族との間に和平条約が結ばれました。この条約では、ゴート族はローマ帝国内で自治的な地位を認められ、ローマ軍への兵士の供給を条件に土地と援助を得ることが認められました。

 

この戦争とその結果は、ローマ帝国が自身の領土と人々を保護する能力を失いつつあることを示す象徴的な出来事でした。これはその後の西ローマ帝国の衰退と476年の崩壊につながる過程の一部であり、中世ヨーロッパの「バルバロイ(蛮族)」による王国の台頭の道を開きました。また、ゴート族の中には後に大きな力を持つこととなるオストロゴート族やヴィサイゴト族など、後のゲルマン系国家の基礎を形成する部族が含まれていました。