コモドゥスとは何をした人?〜「愚帝」の典型〜

剣闘士としてアリーナを去るコモドゥス/エドウィン・ブラッシュフィールド画

 

コモドゥスの基本情報

 

本名:ルキウス・アウレリウス・コンモドゥス
誕生:161年ローマ
死没:192年ローマ
在位:180年 - 192年
王朝:ネルウァ=アントニヌス朝
先代:マルクス・アントニウス
次代:ペルティナクス
政策:帝国領に侵入するゲルマン人との和平

 

コモドゥスは第17代ローマ皇帝で、一般的には悪政により五賢帝時代およびローマ黄金期(パックス=ロマーナ)を終わらせ、ローマ衰退のきっかけとなった「愚帝」の典型として知られる人物です。ローマ帝国では長らく、優秀な者が皇帝の養子となり帝位を次ぐという伝統が保たれていましたが、先代マルクス・アントニウスが実子のコモドゥスを後継者に指名したため、その伝統が破られ世襲制となっていきました。父の晩年から共同統治、死後単独統治を開始しますが、肝心の政治は側近に任せきりで、自らは競技や見世物などの享楽にふけりました。そしてヘラクレスの化身を自称し元老院を敵視するなど、狂信・独裁の色が強くなり、帝国を混乱に陥れていきました。最後には暗殺され、彼の死と同時にネルウァ=アントニヌス朝も終焉を迎えました。

 

コモドゥスの最後

コモドゥスは暗殺という、狂気に身を捧げた暴君らしい最後を迎えています。暗殺は妾によりコモドゥスが立てた元老院議員の暗殺計画が露呈したことがきっかけで、それを知った元老院たちは、コモドゥスを暗殺し、新皇帝として側近ペルティナクスを擁立する計画を立てます。

 

最初は毒入りワインによる毒殺を試みますが、違和感に気づいたコモドゥスがすぐに吐き出した上、彼は食事前に解毒剤を飲む習慣があったので致命にはいたりませんでした。そのため控えていた護衛の剣闘士ナルキッソスが差し向けられ、毒で弱っていたコモドゥスを絞殺したのです。31歳で最後を迎えました。

 

最初に刺客による暗殺ではなく、毒殺が試みられたのは、コモドゥスが剣闘士競技に熱心で、かなり腕の立つ人物であったためです。