オーストリア料理の歴史

オーストリア料理の歴史

 

オーストリアは、多種多様な民族の集まった国であったため、その民族や言語に由来して料理も多様性を持っています。

 

歴史を遡ると、首都ウィーンの位置がヨーロッパの東西の分岐点でもあることから、10世紀までに中央アジアや東欧に分布していたフン族や、イタリア中部から始まるローマ人など、既に様々な民族がこの土地を訪れていたことがわかっています。

 

10世紀後半、フランス王家の血を引くバーベンベルグ家がオーストリアを領地としたのを皮切りに、ウィーンは商業都市として発展しました。

 

 

調味料との出会い

11世紀には1096年に始まる十字軍遠征がオーストリア料理に調味料をもたらします。

 

戦いのためフランスやイギリスなど西欧から中東にやってきた軍の兵士が、帰還する際に中継点であるウィーンを多く経由しました。

 

このとき、彼らによって東洋の香辛料である胡椒や生姜などの香辛料がウィーンに持ち込まれたのです。

 

近世以降の宮廷文化の発達

また、19世紀のオーストリア・ハンガリー帝国の時代になると、領土を広げるにつれ、チェコやバルカン半島といったそれぞれの地域の影響を受けた料理が入ってきます。この時代になると、宮廷料理と呼ばれる華やかな食文化が花開きます。

 

パリと同様に主要な外交都市であったウィーンにおける宮廷料理のレベルは非常に高く、当時のベルサイユ宮殿で出されていたものと同じように、宴会ではコース料理が振舞われました。

 

そして19世紀末、当時実権を握っていた大貴族ハプスブルグ家の全盛期、最もウィーンが華やかだった頃、広い調理場を用意し宮廷料理で貴族たちの宴席を開いたり、各国の上流階級を招いて晩さん会が開かれました。

 

有名なザッハートルテが生まれたのもこの頃で、当時の宰相であったメッテルニヒが、自身が開催する宴会のために作らせたお菓子と言われています。

 

現代のオーストリア料理

帝国解体後今日に至るオーストリア料理は宮廷料理のような華美なものではないものの、かつて領土であった地域の食文化は現在も残っており、東西ヨーロッパ各国の料理を楽しむことができます。

 

領土の拡大と共に多様な食文化を受け入れて変容していったオーストリア料理から、その土地の歴史を見ることができます。