ヨーゼフ・カール・シュティーラー画
ベートーベンの基本情報
本名:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
別名:「楽聖」
誕生:1770年神聖ローマ帝国ケルン選帝侯領
死没:1827年オーストリア帝国ウィーン
功績:古典派音楽の集大成/ロマン派音楽の先駆を創出
ベートーベン(1770年 - 1827年)はドイツの作曲家で、ハイドン、モーツァルトと並び「ウィーン古典派三巨匠」と目される人物です。日本では音楽の聖人という意味で「楽聖」とも呼ばれます。幼少期から父の厳しいピアノ教育を受けながら育ち、1782年宮廷のオルガン奏者に。92年ウィーンに出て、ハイドン、モーツァルトの築いたウィーン古典派様式を完成させ、独自の様式として昇華させました。晩年は聴覚を失うなど音楽家として致命的な不遇にあいながらも、それを克服して次々と傑作を創出。ロマン派への転換を思わせる作風もみられ、後世の音楽家に多大な影響を与えたのです。
当時の著名な音楽家といえば、宮廷音楽家がほとんどだったのですが、ベートーベンは貴族や王の権威のために作曲をすることを拒否し、大衆のための音楽づくりに力をいれていました。彼は一部の上流階級が親しむに過ぎなかった音楽を、より広い大衆の為の芸術として昇華した功績が認められているのです。
ベートーベンは当時20分程度が一般的だった交響曲の長さを45分にまで拡大。さらに使用する楽器を拡大したり、合唱を取り入れるなど、従来の交響曲の常識を打ちこわし、ロマン派への道筋を敷いたことも、彼の重要な功績として挙げられます。
宮廷歌手の父ヨハンの子として、ボンにて生まれる。幼少期から父による厳しいピアノ教育を受けた。
ボンの宮廷礼拝堂のオルガン奏者として働くようになる。
同年11月よりウィーンにて活動を開始し、ピアノ奏者として実績を積み、貴族から腕前を認められるようになる。
ベートーベン指揮による演奏会を初めて開催し、交響曲を初演する。
音楽家にとって致命的ともいえる難聴を患う。自殺すら考えるようになり、同年弟に向けて遺書を書いているが、その後ハンディキャップを克服し、傑作を次々と創出した。
遺書を書いた後に到来したベートーベンの最盛期は「傑作の森」と呼ばれ、この時期に彼の最も有名な代表作「交響曲第5番《運命》」「交響曲第6番《田園》」を作曲しています。
肝硬変により死去。享年56歳。埋葬式には2万人が訪れたという。
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