アンドロポフ(1914年 - 1984年)はソ連の政治家で、ブレジネフの死後、ソ連共産党中央委書記長、最高会議幹部会議長として事実上の最高指導者として君臨していた人物です。
語学や文才に富む詩人としても知られています。そんなアンドロポフは、鉄道員の家庭に生まれ、36年から共産主義青年同盟に加盟、39年に共産党に加盟し、第二次世界大戦への参戦を経て、着々と地位を登りつめていきました。
67年からKGB議長として秘密警察を統括するようになり、82年ブレジネフの死去にともない書記長、ソ連最高会議幹部会議長に就任し、最高指導者となったのです。就任後、ブレジネフ時代の負の遺産(社会停滞、財政難、政治腐敗)の清算に取り組み、病気により道半ばに終わったものの、後輩のゴルバチョフに引き継がれ、ペレストロイカとして形になったのです。
アンドロポフはソ連の歴代最高指導者の中でも、当時から現在にいたるまで「有能」と評されることが多い人物です。しかし彼は就任時からずっと健康状態が悪く、在任15か月で死去してしまったため、最高指導者としては大した業績は残せていません。
彼が有能と言われるのは、最高指導者となる前、ハンガリー大使としてハンガリー動乱を鎮圧したり、外交官として辣腕をふるい、西側との緊張緩和(デタント)を実現させたり、KGBのトップとして反体制運動を抑え込んだりした業績からです。
その業績を認められたため、ブレジネフから後任に選ばれたのです。そして就任後は軍事拡大による財政危機、政治腐敗、縁故主義など、ブレジネフ政治の負の遺産を引き継ぎ、その清算をしようとしましたが、彼に残された時間でそれを成し遂げることはできなかったのです。
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