ジョン王とは何をした人?〜失地王〜

ジョン王

 

ジョン王の基本情報

 

二つ名:「失地王」「欠地王」
誕生:1166年 オックスフォード
死没:1216年 ニューアーク=オン=トレント
在位:1199年 - 1216年
王朝:プランタジネット朝
政策:マグナ・カルタ(大憲章)の承認

 

ジョン王(1166年 - 1216年)はプランタジネット朝第3代イングランド王で、失政により封建領主の反発を買い、王権を制限するマグナ・カルタ導入のきっかけとなった人物です。生まれた時に父ヘンリー2世から唯一領地を与えられなかったことから「欠地王」というあだ名がつけられています。

 

また1209年、司教の任命権をめぐり教皇と対立し破門された話も有名で、破門を解いてもらうため、教皇にイングランド全土を献上(後に返還してもらう)し、王威を損ねるという失態を演じています。こういった内外の失政で貴族や国民の怒りを買い、1215年マグナ・カルタ(大憲章)への合意を余儀なくされたのです。

 

ジョン王のあだ名

ジョン王のあだ名は欠地王です。無地王、失地王などとも。これは生まれた時、兄弟の中で唯一、父王ヘンリー2世から領土を与えられなかったことに由来しています。当時のジョンは2歳の幼子だったので、分与から除外されるのは当然といえば当然なのですが、当の父親ヘンリー2世が「ラックランド(領地なし)」と呼んで憐れんだといいます。

 

よくある誤解
ジョン王はフィリップ2世との戦いに敗れ、ノルマンディー地方などフランス内の領地を失う失態を演じています。しかしジョン王のあだ名は「フランスで領土を失ったから」欠地王、失地王と呼ばれるようになったわけではないので誤解しないよう注意しましょう。