ヨーロッパでかつて「世界の工場」と呼ばれた国

「世界の工場」とは「世界中から原材料を輸入し、それを元に製造した製品を世界中に輸出している大規模な工業国」のことを指す、イギリスの経済学者ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズさんにより提唱された概念です。

 

 

 

「世界の工場」とはどこか

21世紀現在、「世界の工場」の名は、20世紀以降、積極的に海外の企業や工場を受け入れ、豊富な資源を背景に多くの工業製品を輸出する中国が冠しています。しかしそれ以前は、「世界の工場」といえば、18世紀にどこよりも早く産業革命を起こしたイギリスに対し使われていた言葉だというのはご存じでしょうか?

 

イギリスが「世界の工場」といわれた理由

産業革命期に突入したイギリスは、世界各地から原材料を輸入し、自国の工場で製品を製造し、世界中に輸出していました。主要工業生産物は綿製品で、イギリスは世界各地から綿花を輸入し、綿製品として売り出し莫大な利益を上げていたのです。イギリスだけで世界の工業生産額の半分を占めていたというのですから驚きです。

 

イギリスでは1787年に蒸気機関を導入した力織機が発明され、工業生産力が3倍以上に伸びた。ついには生産量が国内需要を追い抜いた為、海外に市場を拡大し、「世界の工場」と呼ばれるようになったのである。

 

イギリスで作られた綿製品は、幕末に日本が開国した時の最大輸入品目でもありました。

 

イギリスは綿輸出で得た莫大な富を背景に、世界中に植民地を作り、覇権を広げていきました。19世紀から20世紀初頭までの期間に、その勢力図は世界の四分の一にまで拡大し、「世界の秩序維持はイギリスしだい」とさえいえる強大なものになったのです。

 

このイギリスが世界最強を誇った時代を、古代ローマ時代の「パックス・ロマーナ(ローマの平和)」になぞらえて「パックス・ブリタニカ(イギリスの平和)」と呼ばれています。そんな黄金時代も、ドイツの台頭や第一次世界大戦による疲弊で終焉を迎えますが、この時代世界中に拡散されたイギリスの政治・宗教・言語といった文化は、イギリスが離れた後でも、各地の文化に大きな影響を与えました。