第二次世界大戦でイタリアが「自称戦勝国」といわれる理由とは?

第二次世界大戦の終結後、イタリアが「自称戦勝国」と表現されることがあります。この表現は、戦争の経緯や戦後の動きを考えると一見矛盾するかのように思えます。なぜなら、戦争開始当初は枢軸国の一員として連合国と戦っていたイタリアが、戦争の途中で連合国側に寝返ったからです。それでは具体的な経緯を見ていきましょう。

 

 

 

厭戦ムードの広がり

イタリアは第二次世界大戦の火蓋が落とされると、ドイツに呼応し参戦したはいいものの、そもそも第一次世界大戦の余波で財政難が続いていたため、戦いが長期化してくると深刻な不況に陥るようになりました。やがてストライキが起こるなど厭戦ムードが高まっていき、政権を支えていたファシスト党や王党派の間からも休戦を求める声が上がり始めます。

 

ファシスト政権の崩壊

ムッソリーニ政権を倒し、連合国軍への降伏を決断したバドリオ。以後イタリアは連合国勢力に鞍替えした。

 

1943年、戦争を主導していたムッソリーニ政権が倒され、新たに樹立したバドリオ政権のもと、連合国への無条件降伏・枢軸国からの離脱が決定。枢軸国から離脱すると、すぐさまドイツや日本に宣戦布告を行ない連合国として参戦しています。そして終戦時まで連合国の一員だったため、「イタリアは戦勝国である」とする声が少なからずあるのですね。

 

特異な状況として、1943年にイタリアはムッソリーニ政権が倒れた後、新政権が連合国と休戦し、その後は連合国としてドイツなどの残存する枢軸国と戦いました。これが、戦後イタリアが「自称戦勝国」と呼ばれる一因となっています。

 

それでもなお、イタリアがパリ平和条約で敗戦国とされた事実は変わらず、領土の一部を割譲するなどの条件を受け入れました。したがって、イタリアが戦勝国と呼ばれることは少なく、一般的には戦争の終結時の立場により、敗戦国とされます。