スパルタ

スパルタの国章

 

スパルタとは、古代ギリシアにおいて陸上最強を誇った都市国家(ポリス)です。ペロポネソス半島に移住したドーリア人により、紀元前8世紀頃に建国され、海上最強のアテナイとギリシアの覇を競い合いました。武力を至上とする軍国主義国家であり、市民は厳しい日々軍事訓練を課せられていたことから、「スパルタ教育」の語源となったことで知られます。

 

 

スパルタの現在の場所

スパルタの中心があった場所

 

古代スパルタの中心部はペロポネソス半島の南東部、ラコニア地方のエウロータス川流域(ラコニア平原)に存在しました。この場所は、現ギリシャ共和国に属し、19世紀に初代ギリシャ国王により建設された都市スパルティの郊外にあたり、現在は遺跡になっています。

 

スパルタの身分制度

スパルタは住民はスパルティアタイ(完全市民)、ペリオイコイ(半自由民)、ヘイロタイ(奴隷)の3身分層に分類する身分制度を採用していました。

 

完全市民(スパルティアタイ)

スパルティアタイは、スパルタ身分制度の最上位に位置する支配階級です。市民は参政権や土地と引き換えに、重装歩兵として国を防衛する義務を課せられました。紀元前500年頃のスパルタ市民の人口や約8000程度で、ペリオイコイやヘイロタイと比較して圧倒的な少数派。その数の差を埋めるために、市民には徹底した軍国主義教育を行ったのです。

 

ペリオイコイ(半自由民)

市民と奴隷の中間に位置する身分階層です。兵役や納税の義務を負う分、共同体の自治などの権利を有していましたが、参政権は持ちませんでした。市民が禁止されていた商工業を任せられていたのも、この身分です。人口はスパルタ市民の数倍。

 

ヘイロタイ(奴隷)

農業に従事する奴隷身分の住民です。ラコニアに侵入したドーリス人が、先住のアカイア人を奴隷にしたのが始まりで、スパルタ市民の数十倍の規模いました。

 

スパルタの同盟

古代ギリシアでは、ペルシア戦争後、アテナイを盟主とし結成されたアカイア人を主体とするデロス同盟が一大勢力として君臨するようになりました。これに真っ向から対抗していたのがスパルタを盟主とし結成された、ドーリス人を盟主とするペロポネソス同盟です。テゲア、エリス、コリントなどペロポネソス半島の諸ポリスが主体をなした為このように呼ばれています。

 

ペロポネソス同盟は、古代ギリシア最古の攻守同盟とされ、紀元前550年頃、スパルタとテゲアで同盟が結ばれたのが始まりと考えられています。古代ギリシア最大の内戦ペロポネソス戦争は、事実上このペロポネソス同盟とデロス同盟の戦いであり、前366年にスパルタがテーバイに敗れるまで存続しました。

 

スパルタの逸話

「スパルタ教育」の語源になった

軍国主義体制を維持するため、市民に対して厳格な軍事教育を行っていたことから、「スパルタ教育」(=厳しい教育を行うこと)の語源となった。

 

城壁がなかった

「城壁は人なり」という理念に基づき、市街を囲む城壁が存在しなかったが、「スパルタの陸軍は最強」というのはギリシア世界に浸透していた常識から、そもそも攻め入ろうとする軍隊自体、末期まで現れなかった。

 

初めて結婚を制度化した

スパルタは人類で初めて結婚を制度化した国として知られる。戦争で夫が死ぬことが多いので、一夫多妻制と一妻多夫制が使用されていた。

 

スパルタの歴史

前1000年頃 ラコニアにドーリス人が侵入

ペロポネソス半島のラコニアにドーリス人が侵入し、先住のアカイア人の都市を占拠した。

 

前800年頃 スパルタの成立

ドーリス人による複数の集落が統合し、都市国家が成立した。先住のアカイア人をヘイロタイ(奴隷)とし、農業に従事させた。

 

前650年頃 メッセニア全土を征服

メッセニア全土を征服し、領土拡大により全てのスパルタ人が土地を持つことが出来るようになった。前500年頃までに約8500平方キロメートルというポリスとしては異例の広さの領土を誇るようになった。

 

前464年 大地震

スパルタで大地震が起こり、同時に支配下のメッセニア人が反乱を起こした。鎮圧には数年かかった。

 

前431年 ペロポネソス戦争

アテナイを盟主としたデロス同盟と、スパルタを盟主としたペロポネソス同盟による戦争が勃発する。結果はペロポネソス同盟側の勝利となり、戦後スパルタが全ギリシアの覇権を握った。

 

前371年 レウクトラの戦い

レウクトラの戦いでテーバイに敗れ、ギリシアの覇権を失うとともに、ペロポネソス同盟も解体に追い込まれた。

 

前146年 ローマの支配下に

イタリア半島から勢力を拡大してきた共和政ローマの支配下に入った。