ライン川の特徴|ヨーロッパ屈指の国際河川

ライン川の特徴|ヨーロッパ屈指の国際河川

ライン川(英:Rhine ラテン語:Rhenus)はドナウ川に並ぶヨーロッパの国際河川です。ドイツ、フランスなど中部ヨーロッパを北に流れ、北海に注いでいます。全長1238m、流域面積約22万平方キロメートル。5か国以上の広範な地域に大量の物資や人員を輸送する役割を担っており、ヨーロッパで最も重要な内陸水路として知られます。

 

ライン川の大部分はドイツを流れるため、ドイツ人からは「父なる川」と呼ばれています。

 

 

ライン川の名前の由来

ライン川(英:Rhine ラテン語:Rhenus)の名前の由来ですが、古代ヨーロッパでライン川の西に住んでいたケルト人の言葉レーン(Rhen)(=奔流する、走るの意)に語源があるといわれています。そして後からライン川西岸に移住してきたゲルマン人が「ライン(Rhein)」と呼ぶようになったそうです。

 

ライン川の水源

ライン川はスイスのアルプス山脈に水源を持ちます。

 

ライン川が流れている国

スイス
リヒテンシュタイン
オーストリア
ドイツ
フランス
オランダ

 

ライン川の自然・資源

ライン川は河口に三角州(=土砂で出来た三角の砂地)を形成しています。新期造山帯のアルプスから流れてきた土砂が河口付近に堆積しているのです。ヨーロッパの川はエスチュアリー(=土砂が少ない三角上の「入り江」)が多いので、ライン川は例外的な存在です。

 

ライン川の利用・役割

ルール工業地帯

ヨーロッパ屈指の工業地域「ルール工業地帯」は、ライン川の水運を利用して発展した場所で、地元のドイツ人からは「父の川」とも呼ばれています。いくつもの支流にも繋がっており、そこからヨーロッパ各地へ石油や建設資材、鉱物など様々な物資が運ばれます。その名の通り、産業の動脈としての役割を果たしているのがライン川なのです。

 

ライン・マイン・ドナウ運河

ヨーロッパ二大国際河川のライン川とドナウ川は、ドイツ南部バイエルン州のライン・マイン・ドナウ運河(全長約171km)により繋がっています。運河の建設は1921年に開始されましたが、途中戦争による中断があり、完成が1992年と70年も時間が空いています。しかしこの運河により、ヨーロッパを横断する形での北海〜黒海間の航行が可能になりました。

 

 

ライン川の歴史

古代ローマ時代

古代ローマ時代から、ライン川はすでにヨーロッパにおける重要な交通路として利用されてきました。ライン川はローマ帝国の防波堤としても機能し(対岸にはゲルマン民族が居住していた)、西岸には国境警備の砦や都市が建設されていました。
4世紀になるとローマ帝国の力が衰えはじめ、ライン川を越えてゲルマン人が次々とローマ帝国領内に侵入してくるようになります。ゲルマン民族はやがて西ローマ帝国を滅ぼし、フランク王国を建国します。

 

フランク王国時代

843年にヴェルダン条約が結ばれ、のちのドイツ・フランス・イタリアになる、東フランク王国・西フランク王国・中フランク王国が生まれる。ライン川の西岸は中部フランク王国の管轄に、東岸は東部フランク王国の管轄になる。東フランク王国が神聖ローマ帝国になると、ライン川沿岸に多数の勢力が群立し、1254年にはライン川沿いの諸都市が手を結ぶライン都市同盟が結成される。以降ライン川情勢はしばらく安定期に入る。

 

統一ドイツ時代

近代になり統一ドイツが成立。ドイツにあるライン川中流域のルール地方が、石炭に恵まれた土地を背景に大工業地帯となる。産業革命も同時期起こり、ライン地方は急激に発展していく。

 

第一次世界大戦

第一次世界大戦が勃発し、ライン川の工業地帯はドイツの軍事力を支える。しかしドイツは敗戦し、ラインラント(ライン川沿岸の一帯を指す地方)の非武装化を強いられ、経済が疲弊する。ドイツ国民の不満が高まりヒトラー台頭のきっかけとなる。

 

第二次世界大戦

ヒトラーがラインラントを再武装化。欧州征服に乗り出したことで第二次世界大戦が勃発。再びドイツは敗北し、ラインラントは連合軍に占領される。占領地域に西ドイツが成立し、西ドイツはライン川の産業地帯を背景に、経済の奇跡といわれるほどの経済成長を遂げる。

 

現代

1990年にドイツが再統一され、その二年後の1992年にライン川とドナウ川を結ぶライン・マイン・ドナウ運河が完成する。

 
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