ミルティアデスとは何をした人?〜マラトンの戦いで活躍〜

 

ミルティアデスの基本情報

 

国籍:アテナイ
地位:
 ケルソネソスの僭主(イオニアの反乱まで)
 アテナイの将軍(イオニアの反乱以降)
誕生:前550年頃アテナイにて
死没:前489年
功績:マラトンの戦いにおいてペルシア軍を撃破

 

ミルティアデス(前550年頃 - 前489年)はアテナイの軍人で、マラトンの戦いでアテナイ・プラタイア連合軍を率いてペルシア軍を破った功績で知られる人物です。アテナイに生まれ、トラキアのケルソネソスの僭主として長らく過ごすも、イオニアの反乱をうけてアテナイに戻り、反ペルシアの御旗として将軍に選出されます。そしてマラトンの戦いでペルシア軍相手に見事勝利をおさめ、大きな名声を手にしたのです。彼はペルシア軍のスキタイ遠征に加わったことがあり、ペルシアの戦法を知り尽くしていたことが有利に働きました。なお名声は長くは続かず、翌年バロス島征服に失敗した責任を問われ失脚しています。

 

ミルティアデスの生い立ちや功績

ミルティアデスは前550年頃、名門フィライオス家の出で、アテナイに生まれました。その後兄の後任としてトラキアのケルソネソスに送られ、僭主となり、前5世紀初めにはレムノス島を占領しアテナイに寄進するなどの功績を残しています。

 

イオニアの反乱(前499〜前493年)が起こると、ペルシア軍に捕らえられる前にアテナイに逃亡。アテナイでは僭主としての経歴が政敵から訴追されましたが、無罪となっています。

 

その後、将軍としてマラトンの戦いを勝利に導き、救国の英雄として名声を手にしたものの、前489年にはパロス遠征に失敗したことが原因で失脚。失意のまま腿の壊疽により死亡したと伝えられています。