神聖ローマ帝国に女帝はいた?

神聖ローマ帝国の女帝

神聖ローマ帝国に女帝は存在しなかった。女性は皇后として権威を持つことはあったが、正式な皇帝位に就くことはなかった。本ページでは、帝国の継承制度や女性の地位、ヨーロッパ王権の特徴を理解する上で重要なこのテーマについて、より詳しく探っていこうと思う。

神聖ローマ帝国に女帝はいた?

神聖ローマ帝国に女帝は存在しましたか?

神聖ローマ帝国の皇帝は男性のみがなれると定められていたため、女性の君主、いわゆる女帝は存在しませんでした。しか摂政などで絶大な権力を握ることで、事実上女帝ごとく君臨した皇后はいました。テオファヌやマリア・テレジアが代表的です。


テオファヌ

テオファヌ(960年~991年)はオットー2世の妃で、彼の遠征には必ず進んで同行するほど政治に積極的でした。またオットー2世が983年に死去した後は、まだ幼かったオットー3世の摂政となったため、事実上の皇帝として全ての権力を握り、帝国の統治を行っていました。


マリア・テレジア


マリア・テレジア(1717年~1780年)は、カール6世の長女として生まれ、1736年ロートリンゲン公フランツ・シュテファン(後の神聖ローマ皇帝フランツ1世)と結婚。


父の死後、オーストリア継承戦争(1740~48年)を経て権力の基盤を受け継ぎ、その出自から神聖ローマ皇帝たる夫より優位な立場にあった彼女は、1780年に死去するまで事実上の「神聖ローマ女帝」として、帝国内において権力と権威を我が物にしていたのです。