神聖ローマ帝国の皇帝は男性のみがなれると定められていたため、女性の君主、いわゆる女帝は存在しませんでした。しか摂政などで絶大な権力を握ることで、事実上女帝ごとく君臨した皇后はいました。テオファヌやマリア・テレジアが代表的です。
テオファヌ(960年〜991年)はオットー2世の妃で、彼の遠征には必ず進んで同行するほど政治に積極的でした。またオットー2世が983年に死去した後は、まだ幼かったオットー3世の摂政となったため、事実上の皇帝として全ての権力を握り、帝国の統治を行っていました。
マリア・テレジア(1717年〜1780年)は、カール6世の長女として生まれ、1736年ロートリンゲン公フランツ・シュテファン(後の神聖ローマ皇帝フランツ1世)と結婚。
父の死後、オーストリア継承戦争(1740〜48年)を経て権力の基盤を受け継ぎ、その出自から神聖ローマ皇帝たる夫より優位な立場にあった彼女は、1780年に死去するまで事実上の「神聖ローマ女帝」として、帝国内において権力と権威を我が物にしていたのです。
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