イスタンブールにあるテオドシウス1世のオベリスク
テオドシウス1世の基本情報
本名:フラウィウス・テオドシウス・アウグストゥス
渾名:テオドシウス大帝
誕生:347年カウカ
死没:395年メディオラーヌム
在位:379年 - 395年
王朝:テオドシウス朝
政策:異教徒禁止令(キリスト教の国教化)
テオドシウス1世は4世紀後半に活躍したローマ皇帝で、キリスト教を国教とし、統一ローマ帝国最後の皇帝としても知られる人物です。ヒスパニア出身の軍司令官として名声を高め、皇帝ヴァレンスの死にともない、皇帝として即位。388年には他の皇帝との抗争に打ち勝ち単独統治者に君臨しました。そして392年異教徒禁止令をだしてキリスト教を事実上の国教としたのです。
395年のテオドシウス1世の死後、帝国領は2人の息子に相続され、ローマは再び分割統治に戻りますが、立法・経済面では統一が保たれていたこれまでとは違い、以降の東西ローマは明確に異なる道を歩み始めるので、彼の死に際する分割は「ローマ帝国が分裂した」と強い表現がなされています。
当時すでにコンスタンティヌス帝の発したミラノ勅令によりキリスト教は公認されていたのに、なぜわざわざ国教化したのか?という疑問を持つ人もいると思います。これに関しては「宗教を統制することで帝国を維持するため」という理由が挙げられます。
それというのも、国教化の前は、古来よりの多神教(ローマ神話の神々への信仰)をはじめ、ミトラ教、マニ教など様々な宗教が入り乱れている状態だったので、宗教対立で帝国瓦解に繋がる恐れが出ていました。
そのため380年「三帝勅令」でキリスト教を国教化し、392年アタナシウス派キリスト教以外のあらゆる宗教を禁じることで、キリスト教をローマ唯一の宗教、とすることで名実ともにローマの国教にし、宗教統制上の問題を解決したのです。
テオドシウスには、年々権威を高めていく教会の保護者になることで、弱まっていく帝国の権威を維持しようとする意図もありました。
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