ユグノー戦争は、プロテスタントであったアンリ4世が1593年カトリックに改宗し、あらに1598年には年ナントの勅令でユグノー(カルヴァン派の新教徒)の信仰の自由を認めるというバランスをとることで、新旧両派の融和が実現し、終結に至りました。
そのためユグノー戦争の結果は、どちらが勝った、負けたではなく「休戦」と呼ぶのが正しいといえます。しかし30年以上の戦争を通して、新旧両教徒による対立宗派に対する虐殺が行われ、怨恨渦巻く中で膨大な犠牲者が出たという意味では、どちらも負けであるともいえるでしょう。
ユグノー戦争中の1572年8月24日、ユグノーが大量に虐殺された「サン・バルテルミの虐殺」を描いた絵(フランソワ・デュボワ画)
また残念ながらユグノーに対する新教の自由は長くは続きません。アンリ4世の子ルイ13世の治世からユグノーに対する弾圧が再開され、継ぐルイ14世がナントの勅令を廃止してしまったことで、ユグノーの信仰の自由は再び失われたのです。以来フランスにおいてユグノー(プロテスタント)が勢力を取り戻すことはなく、現在に続くカトリック優位な状況が確定したといえます。
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