皇太子は訪問時、自分めがけて投げつけられた爆弾で負傷した人々を見舞うため、市庁の会の後、病院に行くことになりました。
その際に皇太子を載せていた車の運転手が道を間違え、偶然にもカフェで食事をしていた実行犯プリンツィプの目の前を通ることになってしまい、道間違いに気づき、車を止めて方向転換を行っているところを、急襲された・・・という経緯があります。
皇太子夫妻の乗っていた車
1914年7月12日のイタリアの新聞に掲載された挿絵より
本来市内中心部を避け迂回するルートを行くはずが、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ総督オスカル・ポティオレクが、運転手にルート変更を伝えるのを忘れてしまった為に起こった悲劇となりました。
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