封建制

封建制とは、中世ヨーロッパを支配していた主従制度(従士制、レーン制、知行制とも)のことです。

 

  • 封臣は封主から土地(封土)を与えられるかわりに、封主に軍役奉仕や緊急時の金銭的援助をする。
  • 封主の側も封臣を保護する義務を負う。

 

という「互いに対価を払い合う契約関係」を基礎にしています。10〜12世紀にかけてヨーロッパ封建制は最盛期に達し、社会制度の隅々に広がっていきました。

 

なお広義には領主層(国王・家臣・貴族・諸侯・騎士・教会など)と農民の間に成立する隷属的関係、つまり領主が農民に土地を与える代わりに農民は年貢や労働の義務を負う農奴制が存在する社会制度全般を指します。

 

 

ヨーロッパ封建制の歴史

成立

ヨーロッパにおける封建制は、古代ローマ末期の主君が見返りとして家臣に封土を与える=ベネフィキウム (恩貸地制度) とゲルマン民族の従士制が結びつき、メロヴィング朝フランク王国時代に成立しました。その後ゲルマン一派フランク人の勢力拡大にともない、イタリア、ドイツ、スペインなどにも広がっていき、さらにドイツから東ヨーロッパ地域(スラブ人の支配域)にまで浸透していきました。

 

北ゲルマン民族のノルマン人は、移住先のノルマンディーで封建諸制度を採用し発展させ、ノルマンディー公によるノルマン=コンクェスト(1066年)にともない、イングランドからスコットランド・アイルランドにも拡大していきました。

 

全盛

封建制の拡大にともない王権は縮小していき、領邦の政治的独立性は強くなっていきました。それにともない「主君と家臣の間の個々の契約」として成立していた封土も徐々に世襲化されるようになります。一人の封臣が複数の封主をもち、それぞれからレーンを受けるという「二股」な状況も珍しくなくなりました。

 

11世紀末、イスラム勢力に占拠された聖地奪還を目的に、教皇や封建領主の呼びかけで「十字軍」が結成されます。遠征は見事成功し、エルサレムを占拠するだけでなく、パレスチナには「十字軍国家」も建設され、教皇や封建領主の権威は最高潮に達しました。

 

衰退

しかし輝かしい成果を残した十字軍の遠征は第一回が最初で最後になりました。それ以降行われた遠征はことごとく失敗に終わり、その上組織にかかる資金調達のために、課税を強化したことで、封建領主への反発が強まっていきました。

 

さらに12世紀中頃より、主権国家体制への移行や、商工業の発展・貨幣経済の浸透にともなう荘園制の崩壊、自由都市の発達といった社会変化が起こり、封建制は衰退に向かっていくのです。

 

崩壊

さらに14〜15世紀になると百年戦争・バラ戦争など大国同士の戦争や、黒死病といった疫病の蔓延により、農村人口が激減。すると農民層の地位が向上し、領主への不満は、農民一揆(ジャックリーの乱、ワット=タイラーの乱など)にまで発展するようになります。

 

そして最終的に農奴制は解体に追い込まれ、農奴制を支柱にしていたヨーロッパ封建制も崩壊に向かっていくのです。代わりに王権が強まり、中央集権的な主権国家体制への移行が始まりました。封建社会の崩壊は、ヨーロッパ社会が近代国民国家に脱皮をしていく大きな画期となったのです。

 

 
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