大航海時代に発見された「新大陸」とは?

 

 

大航海時代、大西洋への進出を開始したヨーロッパ人により「発見」された土地、それが新大陸です。狭義にはアメリカ大陸のみを指しますが、広義にはオーストラリア大陸も含め新大陸として扱われます。また新大陸に対して、ユーラシアやアフリカの土地は旧大陸と呼びます。

 

 

新大陸の発見者

クリストファー・コロンブス

スペインの後援を受けたイタリア/ジェノバ出身のクリストファー・コロンブスが新大陸最初の「発見」者とされています。ただし地球球体説を支持し、西方からでもインドに到達できると信じ航海にでたコロンブスは、自分が発見した土地をインドの一部と思い込みました。そのため新大陸の先住民は「インディアス」と呼ばれ、彼が降り立ったカリブ海域にある新大陸の群島は「西インド諸島」と呼ばれるようになるのです。

 

アメリゴ・ヴェスプッチ

実際にアメリカ大陸が新大陸であると証明したのは、イタリア人探検家のアメリゴ・ヴェスプッチです。アメリゴは1499年から1502年にかけて南米の探検・調査を行い、そこが自分たちが知るどの大陸にも属さない新大陸であると気づきます。当時は地球の大陸はアジア・アフリカ・ヨーロッパの3大陸からなると考えられていたので、これは常識を覆す歴史的な大発見だったのです。そして1507年に出版された『世界誌入門』で新大陸の名が「アメリゴ」のラテン語名から「アメリカ」と名づけられた、というわけです。

 

新大陸発見の影響

新大陸はヨーロッパにはない作物(トウモロコシ、落花生、トマト、タバコなど)や鉱物資源(金銀)が豊富で、まさに富の宝庫でした。発見されてからというもの、ヨーロッパ列強はこぞって開発にのりだし、先住民を酷使しました。また先住民の人口が減ったことで、労働力調達のためアフリカで黒人奴隷を調達するようになり、三角貿易が開始されます。

 

経済的影響

ヨーロッパ諸国は新大陸での植民地経営から莫大な富を得ました。特にスペインは、新大陸から大量の金銀をヨーロッパに持ち帰り、その結果、ヨーロッパの経済は大きく変動しました。この大量の貴金属の流入は、価格革命を引き起こし、物価の上昇と経済活動の活性化をもたらしました。また、新大陸からの作物の輸入は、ヨーロッパの食文化や農業にも大きな影響を与えました。

 

社会的影響

新大陸の発見と植民地化は、ヨーロッパの社会構造にも変革をもたらしました。新しい土地と資源の獲得により、ヨーロッパ諸国の国力は大きく向上し、新たな商業階級が台頭しました。これにより、封建制度が徐々に崩壊し、近代国家の形成が促進されました。

 

文化的影響

新大陸との接触は、ヨーロッパの文化にも大きな影響を与えました。新しい土地や人々との接触を通じて、ヨーロッパ人は多様な文化や価値観を学びました。この交流は、ヨーロッパの芸術、文学、科学の発展にも寄与し、ルネサンスの文化的繁栄をさらに促進しました。

 

新大陸の発見は、ヨーロッパ諸国にとって経済的、社会的、文化的に大きな影響を与える出来事でした。これにより、ヨーロッパは世界の主導権を握ることができ、その後の近代化の原動力となりました。しかし、その一方で、新大陸の先住民にとっては悲惨な結果をもたらし、彼らの社会と文化は大きな打撃を受けました。この歴史的な出来事は、今日の世界におけるグローバルなつながりとその影響を理解するための重要な一環となっています。