モスクワの街並み
モスクワは、ヨーロッパ・ロシアの中部に位置する同国の首都で、ロシア連邦を構成する連邦政府直轄の特別市です。赤の広場・聖ワシーリ寺院・ボリジョイ劇場など歴史的文化財を多数擁する観光都市でかつ、ロシアで最も進んだ工業都市で、ロンドン、パリに次ぐ、ヨーロッパ有数の経済規模を誇っています。
モスクワについての最初の記述は、年代記の1147年頃現れます。この時点ですでにかなりの規模の集落が築かれていたようですが、本格的な発展が始まるのは、13世紀後半(1276年頃)にモスクワ公国の首都に指定されてからです。
モスクワ公国は周囲の公国を併合し、14世紀半ばにモスクワ大公国となり、15世紀末には石造のクレムリン(城塞)で市街を囲むほどの国力をつけました。
イワン3世(在位1462〜1505年)の治世で、当時モスクワを支配していたキプチャク・ハーン国(タタール)から独立を達成し、「タタールのくびき」に終止符を打ちました。
ピョートル1世(在位1682〜1725年)の治世より、サンクトペテルブルグに遷都したものの、戴冠式はモスクワで行われるなど、「ロシアの政治・文化の中心地」という地位は不動でした。19世紀以降は工業化が進み、サンクトペテルブルグに次ぐ第二の工業都市になっています。
1812年、フランス皇帝ナポレオンの侵略(ナポレオン戦争)にあい、火事で都市の大部分が焼かれるなど大きな被害を被りましたが、住民の必死の抵抗により、ナポレオン軍を撤退に追い込みました。
20世紀初頭、ロシア革命でロシア帝政が崩壊した後、首都がモスクワに戻されます。ロシア内戦を経て、1922年ソビエト社会主義共和国連邦が成立すると、モスクワはソビエト社会主義共和国連邦の中心都市として急速に発展していきました。
第二次世界大戦ではドイツ軍がすぐそこまで迫りましたが、気候も味方し、モスクワに到達する前に撤退に追い込むことに成功しています。
戦後冷戦下では、社会主義国全体の中心都市として、COMECON本部が置かれるなど大きな役割を果たし、工業の進展とともにモスクワの工業生産高は戦前の数倍に。世界屈指の大都市に成長しました。
1991年にソビエト社会主義共和国連邦が崩壊するも、引き続き後継のロシア連邦の首都となり、現在に至るまで大国の中心都市としての役目を引き受けています。
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