ビスマルクによるドイツ統一の流れをわかりやすく解説

ビスマルクが主導したドイツ統一の流れをわかりやすく教えてください!

1815年、ドイツ地域では複数の主権国家の連合体ドイツ連邦(現ドイツ連邦共和国とは別の国)が成立しますが、その後、フランス革命を起点とする民族主義の高まりで、民族統一を求める声があがるようになりました。

 

ドイツ統一運動の進展

そんな中、1830年七月革命フランスの復古王政が倒され立憲君主制が確立されると、ドイツでも自由主義運動が勃興。ドイツ連邦の盟主オーストリアはその運動を弾圧しますが、1834年関税同盟成立後はプロイセン主導の経済的統一が進み、ドイツ統一が現実味を帯びてきます。

 

ビスマルクの登場

そして1848年に三月革命が起き、オーストリアが主導したウィーン体制は崩壊。没落したオーストリアからプロイセンへとドイツの中心が移ったことで、プロイセン首相となったビスマルクがいよいよ、ドイツ統一に向けて動き出すのです。

 

ドイツ統一を指導した鉄血宰相ビスマルク

 

彼は「鉄血政策」という武力による統一を掲げ、軍備を拡大。オーストリアとの覇権争いに打ち勝ち、1867年プロイセンを盟主とする北ドイツ連邦を成立させた後、71年にドイツ帝国の成立を宣言。ドイツ統一を達成させた、というわけです。