チャールズ2世とは何をした人?〜「ブレダ宣言」にともなう王政復古〜

チャールズ2世

 

チャールズ2世の基本情報

 

二つ名: 「陽気な王様」
誕生:1630年イングランド王国
死没:1685年イングランド王国
在位:1660年 - 1685年
王朝:スチュアート朝
政策:「ブレダ宣言」にともなう王政復古、清教徒弾圧、親フランス・親カトリック路線

 

チャールズ2世(1630年 - 1685年)はスチュアート朝の第3代イングランド王で、イングランド王政復古を実現させた人物として知られます。あだ名はその明るい性格から 「陽気な王様」。清教徒革命に際し処刑されたチャールズ1世の子で、革命以降9年間フランスで不遇な亡命生活を送っていました。

 

しかしクロムウェル没後イングランドは深刻な政治的混乱に陥ったため、議会との交渉の末「ブレダ宣言」を発し、絶対王政の復活を否定することで復帰が認められたのです。しかし結局は反動化していき、国を追われた復讐心から清教徒への弾圧を再開、親フランス路線でカトリック勢力の回復を図るなどしたため、議会・王権の対立が再発し、清教徒革命と並びイギリス革命の一角をなす名誉革命を準備することとなりました。

 

チャールズ2世の亡命先

ピューリタン革命で王政を廃され、国を追われたチャールズ2世ですが、王政復古を遂げるまで亡命先となっていたのは母の実家のあるフランスや義弟ウィレム2世のいるオランダでした。父チャールズ1世が処刑されると、イングランド王を宣言し、1651年スコットランドにてクロムウェルの議会軍に挑むも、撃破され、再び大陸に逃亡。以後ブレダ宣言で王政復古が実現するまで9年間亡命生活を送っていたのです。