バルカン半島の歴史

バルカン半島

 

バルカン半島は、ヨーロッパ南東部に位置する、東地中海に突き出た半島です。黒海、マルマラ海、エーゲ海、イオニア海、アドリア海に囲まれており、山が多く、地中海性気候が支配的な全体的に痩せた土地となっています。

 

今でこそギリシャや旧ユーゴスラビア諸国など主権国家の集まる半島ですが、ヨーロッパとアジアの中継点に位置するため、貿易および軍事上の要衝として、古来より大国の利権争いが繰り広げられ、その結果、近世以降はオスマン帝国が支配権を確立しました。

 

古今通じて民族流入もさかんなことから、様々な民族の存在が入り組んだ複雑な歴史を辿ってきたことも重要です。

 

 

なぜ「火薬庫」と呼ばれるのか

バルカン半島が19世紀から20世紀前半にかけて「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていたのは、ここがヨーロッパとアジアの中継点に位置するという地理的特性上、貿易・軍事上の要衝で、この地域を対象とした大国による利権争奪戦が繰り広げられてきたためです。

 

民族主義の高まりが関係

さらに古来より民族流入がさかんな多民族地域故に、フランス革命以来、各地で民族独立運動や民族対立が過熱していったため、そこに介入する西欧列強とオスマン帝国の代理紛争地域という形で、ヨーロッパ屈指に軍事的緊張が支配する「爆発寸前」の文字通り「火薬庫」のような場所になってしまったのです。

 

そして1914年のサラエボ事件で実際に火薬に火がつけられ、第一次世界大戦という形で爆発する結果となってしまいました。

 

バルカン半島の歴史

先史時代

前7000年頃、中東経由で農業技術が伝わり、バルカン半島はヨーロッパで最初に農耕社会が形成された場所となりました。

 

古代

前8世紀頃、半島各地に主権を持つ政治共同体ポリス(都市国家)が形成され、ポリスの文化的繁栄で古代ギリシア文化圏が形成されました。その後マケドニアによる支配を経て、ローマに征服され、330年コンスタンティノープルにその首都が置かれたことで、ヨーロッパ文化の中心地として重要な役割を演じるようになります。

 

中世

ローマ帝国分裂以後は、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の版図となり、中世以後は「東ヨーロッパ文化圏の中心」としてより重要な役割を担うようになります。

 

オスマン帝国による支配

15世紀以降は東ローマ帝国を滅ぼしたオスマン帝国がバルカン半島の支配を確立し、トルコ化、イスラム化が進むとともに、同国の文化保護政策のもと、ヨーロッパ有数の多文化地域として引き続き繁栄しました。

 

近代

18世紀からは、フランス革命(1789~99年)の影響で、オスマン支配からの脱却を目指す独立運動が盛り上がるようになります。そこに各々の思惑をもって、西欧列強やロシア帝国が介入し、高まる民族主義運動と絡み合い、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるほどの軍事的緊張が生じるようになるのです。

 

そして1914年に起こったサラエボ事件が、火薬の起爆剤としての役割を果たし、第一次世界大戦の勃発を招いてしまいます。続く第二次世界大戦も、第一次世界大戦がなければ起きていませんから、バルカン半島情勢というのは、ヨーロッパ史に絶大な影響をもたらしてきたのです。