ポルトガルが日本の食文化に与えた影響とは?

南蛮菓子を元に長崎で生まれた和菓子「カステラ」

 

ポルトガル日本の交易が行われた室町時代後期というのは、ポルトガルが大航海時代の先駆者となり、アフリカ・インド・南米(ブラジル)・東南アジアなど、世界中に覇権を広げていた時代です。世界の食文化に精通していたポルトガル人との関わりは、当然、日本の食文化にも影響を与えています。

 

 

和華蘭グルメの成立

1500年、ポルトガル船の平戸来航後、横瀬浦(西海市)・口之津(南島原市)・長崎(長崎市)の港が、南蛮貿易の拠点として栄え、とりわけ長崎はヨーロッパ文化流入の窓口になりました。そしてヨーロッパの食文化の影響を強く受けるようになった長崎料理は、日本料理、中国料理、西洋料理が融合した料理ということで、「和華蘭(ワカラン)グルメ」とも呼ばれるようになったのです。

 

砂糖の伝来

15世紀末から始まる大航海時代の先駆者となったポルトガルは、植民地ブラジルでサトウキビ栽培を加速させ、16世紀には砂糖の輸出大国として成長を遂げました。そしてポルトガルと交易していた長崎に砂糖がもたらされ、贅沢品として注目されるようになったのです。

 

長崎料理は甘い味付けがされる傾向がありますが、これは南蛮貿易時代、ポルトガルから仕入れた砂糖を使い、客人をもてなし始めたことが始まりといわれています。

 

 

ポルトガル起源の郷土料理が誕生

長崎には様々な郷土料理がありますが、以下のようにポルトガル料理を起源に持つ料理も存在します。

 

ヒカドの誕生

「ヒカド」は、さつまいもでとろみを付けた長崎の名物スープです。ポルトガルの「picado(ピカド)」というスープが起源であり、本来はパンでとろみ付けをする料理でしたが、禁教令でパンが手に入らなくなったので、さつまいもで代用するようになったことが始まりでした。

 

ヒロウズの誕生

長崎名物「ヒロウズ」は、南蛮貿易でもたらされた「fillos(フィリオース)」というお菓子が元になりました。もともとは小麦粉を油で揚げて蜜を付けて食べるお菓子でしたが、やがて、小麦粉の代わりに擦った豆腐を使うようになり、それを刻んだ野菜と混ぜて油で揚げて作る、副菜として食べられるようになったのです。

 

カステラの誕生

南蛮貿易が行われていた1543年から1614年の間、ポルトガルからもたらされたスイーツは「南蛮菓子」と呼ばれ、戦国時代の大名たちに愛されました。

 

南蛮菓子から様々な和菓子が誕生

長崎名物カステラは、南蛮菓子の「パン・デ・ロー」を日本流にアレンジして誕生したお菓子といわれています。そしてカステラの他にも、以下のように、ポルトガル語由来の和菓子はたくさんあるのです。

 

和菓子の元になった南蛮菓子一覧

 
  • コンフェイト→金平糖の起源
  • アルフェニオン→有平糖の起源
  • カラメロ→キャラメルの起源
  • ボーロ→ボーロの起源
  • ビスカウト→ビスケットの起源