ポルトガルが日本の食文化に与えた影響とは?

室町時代後期から始まったポルトガルと日本の関係。ポルトガルは15世紀に大航海時代を迎え、大西洋やインド洋に進出。

 

アフリカ、インド、ブラジル、東南アジアなど様々な国と接点を持ち、それらの食文化も持ち帰りました。

 

世界に精通していたポルトガル人と関わる中で、彼らが日本の食文化に与えた影響は大きなものがあります。

 

 

お菓子大国・ポルトガルが日本伝えたスイーツの数々

ポルトガル人は甘い物好きで、ポルトガルの郷土菓子は種類が豊富にあります。

 

特に砂糖と卵黄を使ったスイーツが多く、日本でマカオ発の「エッグタルト」として知られているスイーツも、ルーツを紐解くとポルトガルの「パステル・デ・ナタ」にたどり着きます。

 

南蛮貿易が行われていた1543年から1614年の間、ポルトガルからもたらされたスイーツは「南蛮菓子」と呼ばれ、戦国時代の大名たちに愛されました。

 

長崎名物のカステラはポルトガルの「パン・デ・ロー」が元になっているとされ、日本でアレンジされてました。

 

本場のものは日本のカステラよりも甘くて中は半熟。丸くスポンジケーキのような形をしています。

 

カステラの他にも、日本でおなじみのスイーツの中にはポルトガル語由来のものがたくさんあります。

 

金平糖は「コンフェイト」、有平糖は「アルフェニオン」、キャラメルは「カラメロ」、ボーロは「ボーロ」、ビスケットは「ビスカウト」、パンは「パン」。

 

これらのスイーツは名前とともにすっかり日本のお菓子として根付いています。

 

ポルトガルの砂糖と、長崎の甘い味付けの関係

1500年、ポルトガル船の平戸来航後、横瀬浦(西海市)・口之津(南島原市)・長崎(長崎市)の港が南蛮貿易の拠点として栄え、とりわけ長崎はヨーロッパ文化の交流の窓口になりました。

 

そして長崎料理は日本料理、中国料理、西洋料理が融合した「和華蘭(ワカラン)グルメ」とも呼ばれるようになりました。

 

砂糖の流入

ポルトガルは、海外進出を開始した15世紀から、植民地でサトウキビ栽培を加速させ、16世紀には砂糖の輸出大国として成長を遂げました。

 

そして南蛮貿易でポルトガルと交易していた長崎にも砂糖が輸入され、贅沢品として扱われるようになったのです。

 

長崎料理は甘い味付けがされる傾向がありますが、これは当時輸入した砂糖を使って客人をもてなし始めたことが始まりといわれています。

 

ポルトガル由来、長崎の郷土料理

長崎の郷土料理にはポルトガルに由来する料理があります。

 

ヒカド

「ヒカド」は、さつまいもでとろみを付けた長崎の名物スープです。ポルトガルの「picado(ピカド)」というスープが元になっており、本来はパンでとろみ付けをする料理でしたが、禁教令でパンが手に入らなくなったので、さつまいもで代用するようになり誕生したものです。

 

ヒロウズ

長崎名物「ヒロウズ」は、南蛮貿易でもたらされた「fillos(フィリオース)」というお菓子が元になりました。

 

もともとは小麦粉を油で揚げて蜜を付けて食べるお菓子でしたが、やがて、小麦粉の代わりに擦った豆腐を使うようになり、それを刻んだ野菜と混ぜて油で揚げて作る、副菜として食べられるようになりました。