第二次大戦後、冷戦が激化する中でドイツは西ドイツ(ドイツ連邦共和国)と東ドイツ(ドイツ民主共和国)に分断し、東ドイツではドイツ社会主義統一党のもと、一党独裁による統治が行われていました。
しかし80年代に入ると社会主義体制の行き詰まりにより、経済が悪化。国民は疲弊し、東ドイツ政府への不満を高めていきます。そんな中での1989年8月、一足早く民主化改革に乗り出したハンガリーが、自由化の一環としてオーストリアとの国境を開放します。
これでハンガリーにおいて難民化していた東ドイツ国民がオーストリア経由で西ドイツへ大量に流出し、かつてないほど国家の地盤が揺らぐ事態が発生。こうなったらもう崩壊までは早いものでした。
民主化運動の過熱で、89年11月にベルリンの壁崩壊、89年12月には一党独裁制が崩壊。さらに90年には初の自由選挙が行われ、東西ドイツの統合が決定(西ドイツへの編入)し、東ドイツは消滅したのです。
東西ドイツの分断解消は、冷戦の終結を象徴する出来事となりました。
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