1939年、第二次世界大戦が幕を開けようとしている緊迫した時期に、ドイツとソ連が緊急に締結した独ソ不可侵条約。この条約は、世界の戦局を一変させ、多くの国々に影響を与えました。しかし、この条約が締結された背景や、ドイツとソ連がそれぞれ何を目的としていたのかは、一見すると不明瞭です。本記事では、独ソ不可侵条約が締結された背景と、両国が追求した目的に焦点を当て、その影響と意義について解説していきます。
|
|
|
|
1939年当時、ヨーロッパは第二次世界大戦が勃発する直前で、各国が緊迫した状況にありました。特にドイツは、既にオーストリア併合やズデーテン地方の併合を経て、次なる目標であるポーランドへの侵攻を企図していたのです。
一方、ソ連は西側諸国との間に緊張を抱えつつ、自国の安全を確保しようとしていました。特に、ポーランドを介したドイツとの直接対決を避け、時間を稼ぐ必要があったのです。
ドイツにとって、独ソ不可侵条約は主に二つの目的がありました。一つ目は、東側のソ連との戦争を避けることで、西側への侵攻に専念することです。二つ目は、ソ連から資源を確保することで、長期戦に備える目的でした。
ソ連にとって、この条約は西側諸国との戦争を避け、自国の安全と社会主義体制を保つことが最大の目的でした。さらに、条約によってドイツが西へ侵攻することで、西側諸国が弱体化することを期待していたのです。
独ソ不可侵条約には、ポーランド分割の密約も含まれていました。これによって、ドイツとソ連はポーランドを事実上分割し、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)もソ連の影響下に置かれたのです。
しかし、この条約は長続きしませんでした。1941年、ドイツがソ連へ侵攻を開始(バルバロッサ作戦)し、独ソ不可侵条約は事実上崩壊したのです。
独ソ不可侵条約は、その締結に至る背景や各国の目的を理解することで、第二次世界大戦全体の流れや両国の戦略について深く理解できます。ドイツは西へ、ソ連は自国の安全を確保するという各々の目的を達成するために、一時的な協力関係を築きました。しかし、この協力関係は短命であり、その後の戦局に多大な影響を与えています。
|
|
|
|