スパルタクスの乱(第三次奴隷戦争)

スパルタクスの乱は、古代ローマ共和政末期の前73年から前71年にかけて、スパルタクスを筆頭とする剣闘士奴隷により起こされた大規模な反乱のことです。第三次奴隷戦争とも。最終的にクラッスス、ポンペイウスらに鎮圧されたものの、共和政による統治の限界が露呈した事件でもあり、ローマが帝政に移行していく一つの伏線となりました。

 

 

反乱の原因

共和政末期のローマは侵略戦争によりみるみると属州を広げ、その領域は地中海世界全域に及んでいました。そして侵略戦争の副産物として大量の奴隷(=戦争捕虜)が生み出され、共和政ローマ社会の基盤として欠かせない存在になっていたのです。

 

そんな中で、大半の奴隷は農場や鉱山における労働力とされましたが、一部は剣闘士(グラディエイター)として闘技場で殺し合いをさせられ、「パンとサーカス」の「サーカス」として統治の安定に利用されていました。「スパルタクスの乱」の指導者スパルタクスもその一人で、彼は出身地トラキアで戦争捕虜となり、カプア(当時の南イタリアの主要都市)の闘技場で剣闘士としての日々を過ごしていたところでした。

 

反乱の勃発

紀元前73年、スパルタクスは養成所の仲間に呼びかけ、反乱を起こします。脱走に成功した78人の剣闘士達はウェスウィウス山に立てこもり、鎮圧に派遣されたローマ軍はそれを包囲。剣闘士達が飢えるのを待ちます。しかし剣闘士達はツルで梯子をつくり、秘かに山を降りると、油断していたローマ軍を急襲しました。

 

ローマ軍から武器を奪って立派な「軍隊」となった奴隷達は、ローマの町を次々と占領し、各地の奴隷を仲間に引き入れ、兵力を拡大していきました。奴隷軍は翌年までに12万にも膨らんでおり、全ローマ人を震撼させました。

 

反乱の鎮圧

奴隷軍の鎮圧を命じられたのは、圧倒的な財力を背景に元老院として地位を築き上げてきたクラッススでした。当時ローマは度重なる戦争で財政危機に瀕し、新しく軍団を組織する金も余裕もなかったため、私費で軍団を組織できるほど桁外れの資産を持つ富豪クラッススに白羽の矢が当たったのです。

 

クラッススは南下する奴隷軍と相対し、予想外の強さに苦しめられましたが、戦争末期には、スパルタクスの求心力低下で奴隷軍は統制を失いつつあり、本体から離れた部隊を各個撃破していくことで着実に戦力を削いでいくことができました。

 

そして前71年春の最終決戦の時点で、戦力に大きな開きができており、奴隷軍は奮闘むなしくクラッススの軍隊に壊滅させられたのです。スパルタクスは戦闘で死亡し、捕虜となった者は磔となり、アッピア街道の見せしめにされました。前70年にはポンペイウスにより残党も始末され、奴隷軍は全滅。これをもって奴隷反乱は完全に鎮圧されたのです。