トレントの歴史

トレントのブドウ園

 

トレント(伊:Trento)は、イタリア北部、ミラノの東北約165kmおよびヴェネツィアの北西約116kmの地点に位置する都市で、トレンティーノ=アルト・アディジェ州の州都です。アルプス山脈の水系により豊かな自然に囲まれており、中世以来、銀を始めとする鉱物資源の主要産地として栄えました。またカトリック史上重要な意味を持つ、トレント公会議が開かれた地として有名です。

 

トレントの時代変遷

 

古代

古代ローマ時代は、ローマ軍の重要な駐屯地として利用され、この地が3つの丘に囲まれていることから「トリデントゥム(Tridentum)」と呼ばれていました。

 

中世

西ローマ帝国滅亡後は、東ゴート王国ランゴバルド王国フランク王国による支配を経て、神聖ローマ帝国の一部として落ち着き、11世紀に神聖ローマ皇帝コンラート2世の命でトレント司教が創設されています。

 

16世紀の宗教改革期には、対抗宗教改革の一環としてカトリック教会による公会議「トレント公会議」が開催されています。

 

近代

ナポレオン戦争後、オーストリア帝国支配のもと、鉄道敷設をはじめ近代化が進行していきました。

 

イタリア統一運動

19世紀半ばになると、オーストリア支配からの脱却を目指すイタリア統一運動(リソルジメント)に合流。1861年に統一が達成され、イタリア王国が成立すると、トレントは「未回収のイタリア」として同王国の奪回目標となり、第一次世界大戦(1914-18年)後、オーストリア帝国の崩壊にともないその目標は達成されています。

 

第二次世界大戦

第二次世界大戦(1938〜45年)では、ナチス・ドイツに占領され、大戦中はナチス傀儡のイタリア社会共和国に支配されるなど、苦しい時期が続きましたが、戦後は自治州となり、工業を中心として着実に成長を遂げていきました。